1952年8月、爐書房から刊行された港野喜代子(1913~1980)の第1詩集。題字は緒方昇(1907~1985)、表紙は丸木スマ(1875~1956)、装画は赤松俊子(1912~2000)。
貧しい詩集を一冊、皆様におおくりします。私の作品については、もう何んの言いわけもございません。
ただ私は、今からもなお、生涯をかけて、自己のすみずみまでを鍛えられたいと希うばかりです。
詩集が御手許に渡りましたら、それぞれの地点から、あなたの一と言葉を恵んで下さい。
私はその一言一言に應えて、又元氣を出して歩みます。
(「あとがき」より)
港野さんは、世話好きの、まめまめしい、小柄な、家庭の主婦である。
日本の主婦の多くがそうであるように、港野さんの日常は、子供のこと、ご主人のこと、ご近所隣りのことで大變に忙しい。
港野さんの詩は、そうしたありふれた日本の主婦の生活から、生きるもの、一種のはずみのように、彈力的な調子をもつて生み出される。
おそらくチャブ臺や、マナ板や、洗濯板の上で、港野さんは感情の陽影や、思索の起伏を、斷續的に、すくいとめるのであろう。
港野さんの詩の健康さ、その皮膚のぬくもりのようなリズムは、そのことをよく物語つている。
たとえば「蚊帳洗う日」という一篇の詩を見よ。このさかんな確かさは、最初の一行から最期の一行に至るまで、ぎつしりと充溢したことの人の、日本の婦としての生の實證を示すものだ。
緒方昇の首魁で、私が初めて港野さんの詩を目にしたのは五年前のことである。その時私は、その詩のみづみづしさと豐かさに眼をみはつた。そしてそのみづみづしさと豐かさは、日本の主婦という庶民の一つの典型から強く押し出されたものであることを感じた。それは當然素朴というものと繋がりながら、しかもおのづから賢明に、その身につけた社會性を重心としているものであつた。
まつとうな主婦の性格から邪氣なく、てらいなく吐き出された港野さんのような詩は、いまこの國で類多しとすることは出來ない。(「序/池田克己」より)
目次
序詩
序 池田克克己
風のうちとそと
踏繪
紙芝居
- 秋
- 子守うた
- 木枯の日に
- 冬の旅
- 牛肉
- 正月の奇術
- 節分
- 古事記
- 帰り道
- 虹雲
- 肝臓を病んでいるので
- 紙芝居
- 風にゆれる雀の巢わらから(五編)
跋 小野十三郎
あとがき