1982年10月、白地社から刊行された北川透(1935~)の第13評論集。カバー装画は倉本修。
「一九六八年詩誌評」は、〈大学闘争〉で、社会が揺れだす時期の、『現代詩手帖』一年間の時評である。時代的な流れに引きずられて、いまから読むと恥ずかしいようなことばや論点が幾つか含まれているが、それは時評という表現の領域が避けられないものにしているものだと思う。時評的な仕事は、わずらわしさもあり、苦しさもあるが、現代詩の尖端的動向に対する、絶えざる刺激と緊張感がある。時評的な仕事自体は、いつもしている必要はないが、そういう緊張感は失いたくないと思う。この時期は、『あんかるわ』を同人誌から、わたしの個人編集の雑誌に切りかえて、ほぽ一年後であった。自分の編集発行する雑誌をこれからどのような方向へ展開させていくのかが、この詩誌評を支えるかくれた私的モティーフである。そのことだけを、これについては註記しておきたい。(「本書成立に関する覚書」より)
目次
I抵抗についての断片
Ⅱ未明の構想 一九六八年詩誌評
- 一月《理想》の構想
- 二月体制内的言語の発想について
- 三月言葉の裏切り
- 四月〈中心志向〉をめぐって
- 五月日常語の稽古
- 六月かくされている私
- 七月生産原点とは何か
- 八月体験の意味
- 九月憤怒のメタフィジック
- 十月ことばのやちまた
- 十一月疑いの先端はいつも裂けている
- 十二月反運動の逆流を発条として自立へ
Ⅲ塵哀集 私的感想・発言
- ある怒り
- オレは関係ないよ―――映画『帰って来たヨッパライ』について
- 〈詩になにができるか〉をめぐって
- 私が影響を受けた戦後の書30冊
- 故郷の変貌
- 或る交友圈について――神谷一郎の死
- 花火の傘
- 自由と自然の共有――芭蕉と円空
- 「弾道」について――あるいは丸山薫忌のこと
- 修学旅行再遊
- 欠如に輝く日々
Ⅳ〈詩の原理〉へのノート
- (一)文学効用論の原像/(二)〈精神の自由〉の概念/(三)内部生命の転回/(四)詩を〈必要〉とする根拠/(五)〈近代的なるもの〉の批判/(六)口語自由詩の出発/(七)非所有へのあこがれ/(八)詩における口語使用の不満感/(九)階級概念による詩人論/(十)近代抒情詩の内的論理/(十一)近代の崩壊と自我/(十二)非ナショナルな詩学/(十三)血統と言霊の論理/(十四)「国家」を不問にした近代の否定
本書成立に関する覚書