1994年10月、夢人館から刊行された明峯明子(1915~2002)の詩集。装幀は林立人。
枯葉色をした、というよりながい年月に灼かれて変色したフランス綴じの本が、そう大きくはない木製の本棚にぎっしり詰まっている。それは私の悔恨の物証のようで、なつかしいというよりは苦しい。いつもは見なれてわすれているが、なにかの折に気づくたびに背表紙の痛みがひどくなっている。ヴェルレエヌが好きだというのも敗北的であるが、私が若い頃ひとと死別して悲しみにくれていたとき父は黙って自分の書棚からボオドレエル詩集とヴェルレエヌ詩集を抜いてくれたのだった。父の書棚を埋めていたのは父の敬愛するスピノザを中心とする相当量の書物であったが父のひろい興味から文学書もそこにまじっていたのだ。
どちらも真っ白な表紙が目にさわやかだった。私はヴェルレエヌを読もうとしていたが、この詩人の詩も文章も日本語にするにはたいへんむずかしかった。怠惰な私は勉強もしないで自分の悲しみとだけつき合っていた。父はそれを知っていたのか、知るまいとしていたのか黙っていた。それから四年後、父は急逝した。そして、長い歳月ののちのいま、その本は、とりだす私の手とおなじくらい変色し、背表紙は縦にばらばらに裂けてしまっている。けれど、よくみると表紙の文字の深い紺色はあせてはおらず、ちいさなデザインの蜂は、私が感動するほど熱心に花から蜜をすいあげているのだった。
(「ノオト」より)
目次
- ある頁に
- 絵はがき
- 秋の皿
- 八月の光
- 海―室内の―
- 落葉
- 光と影
- 鍵
- 日曜日
- 風景
- 三日月
- 五月
- 雨の街
- 午後
- 八月
- 梨
- 十二月
- 新年
- 窓
ノオト