無言な冬 下村保太郎詩集

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 1982年6月、情緒刊行会から刊行された下村保太郎(1909~)の詩集。装画は佐竹与二。著者自装。

 

 十八歳の頃から、詩のようなものを書き出してから、詩集らしい詩集といへば、昭和九年九月に、裸文芸社から『錘』限定六拾部を出したのが最初で、この詩集は奉書袋とぢ約六十頁。今にして思うなら、その頃から、和紙装の詩集に、心がひかれていたようにも思はれる。
 昭和三十八年に、前年、旭川文化奨励賞受賞に際し、心から祝意を寄せられ方々への謝意を表したく、限定私刊本『献呈詩集』五十冊程を造本した。これは、福田製紙所の手漉の紙を使い、皮装には、深沢忠利氏に教えを乞うて、染色にし、はじめて、私は自作の陶印を奥付に使用した。
 今、ここに、『無言な冬』を刊行するまでに、幾度となく逡巡したものの結局は、本造りの魅力にとりつかれての刊行になった様にすら思はれる。
 和紙を使って、詩集を――という情緒同人の富岡由香子さんの「わたしの四季」の詩集(五十四年九月)それから、私の随想集『北窓灯語』の刊行(限定八十部)(五十四年十一月)鈴木政輝詩集『雲雀の歌』限定三百部(五十五年六月)、そして、五十五年八月には、木内進詩集『流離』を限定二百部。何れも和紙を使用した。和紙の選定など、一切をまかされたものの、装幀もそれなりに苦労もしたし、たのしくもあった。
 そして、私の『無言な冬』になったのである。内容は、第一詩集の「錘」と「献呈詩集」から、詩誌「情緒」に発表した中から、ひろい集めてみたものの、まことに内容する低調さには、只々恥入るばかりである。だがこれが私の詩歴――いいや、人生記録である故、どなたが、何とお叱りを下さっても、私はこれだけなので、決して背伸びなどしないできた、それだけは、胸を張って言へることである。
 考へてみるなら、文芸誌『裸』、それより分離した「不死鳥」竹吉新一郎君らと「登場」四冊を出し、戦后は、「情緒」を出して今日に至る。そんな仕事が、身に合っているので、今更詩集などと、だいそれたことなど、考へないのがよかったのではないか……フトそう思うこともある。
 でも出すことにした。私の好きな和紙を使い、勝手気儘な装いで。そんな好き勝手な刊行に、畏友、佐竹与二君が、自彫、自刷の版画を捜入して下され、一段と華やいだ一冊になったことに私はお礼の言葉もない。只心から、有難う――というばかりである。
(「発行するに当りて」より)

 


目次

  • 母の美
  • 山頂にて
  • 孤独な冬
  • 石狩川
  • 五月の禁獵区
  • 白い歌
  • 礼文島にて
  • 郭公
  • 湧駒別 
  • 舗道にて
  • 微笑石佛
  • 春の雨
  • たどりつきし者の歌
  • 時雨にぬれて
  • 沖里川温泉
  • 旅信
  • 高知にて
  • 角舘
  • 木曽高原ホテルへ
  • 大河となりし木曽川をみる
  • 福井駅を通る
  • 津和野の町で
  • 師團道路秋色慕情
  • 晩秋二作
  • うしろすがた
  • 夢のあと
  • えぞ紫つつじ
  • えんれい草
  • 紅い花
  • 両手のこと
  • 十二枚の階段板 
  • 常盤公園にて

 

発行するに当りて

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