女の世紀 須知白塔句集

f:id:bookface:20210721084149j:plain

 1954年11月、白塔句集刊行会から刊行された須知白塔(1928~)の第1句集。装幀は山高のぼる。著者は岡山市生まれ、刊行時の住所は北多摩郡小平町

 

○私の第一句集”女の世紀”は、昭和十八年から昭和二十七年八月に至る間の、即ち、中学三年の時から大学卒業後の五ヶ月間を含む、作品百六十五句を収めたものである。つまり、この句集の発刊は、私の、長い、波瀾に富んだ学生生活に対する精神的な最後の締括りをも意味するわけである。この十年間、私は長兄正元を始め幾人かの親愛なる人々を失った。私は、との句集を、誰よりも先づ、これ等の還らざる青春達に捧げたいと思う。
○私は、長い学生時代通じて、所謂優等生たらんとしたことは唯の一度もなかった。私は、常に、自己に忠実一介の青年でありたかった。
○私の幼い心に、底知れぬ傷痕を与えたものは、偏狭なナショナリズムと日本の敗戦であった。あの敗戦によって、私の数十倍も苦しまねばならぬ筈の人々が、恰も条件反射的生物のように苦もなく変色して行く姿を、私は、驚きの眼を握りつつ眺めて来た。
○私は、少くとも、現在の一般大衆に迎合する程墮落しようとは思わない。これは私の作家精神である。第一に大衆は無反省である。第二に大衆は卑怯である。第三に大衆は偏狭である。私は以上のことを大衆に抗議する。そして、これこそは、私の大衆に対する最大の愛情の表現なのである。
○私の抵抗が、権力に対して最も意識的であることに就いては、ここで呶々喋々する必要はないと思う。何故ならば、それは作家にとって全く当然のことだからである。私の育った環境がかなりアリストクラティックなものであったにも拘らず、私の心に、浅薄な意味でのアリストクラティズムを植付けなかった私の家族達に感謝している。
○御多忙の御身でありながら、序文を快くお引受け下さった松原地藏尊先生、跋を書いてくれた優しい友浅井瓊一君、装幀に当られた山高登氏等の御親切を深く感銘するものである。
○更に、奔放、無賴の私を、常に、深い理解と愛情を以って見守っておられる恩師中村草田男先生、中島弧雄先生のお二方の御厚情に対しても、この機会に感謝の意を捧げたい。
(「あとがき」より)

 

 


NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索