1993年10月、中央公論社から刊行された北杜夫の詩集。装画は山本容子、装幀は渡辺和雄。
私は中学まで理科少年であったが、旧制松本高校に入ったとき、たまたま茂吉の歌集を読み、文学に開眼した。在学中に作ったつたない短歌を『北杜夫若年歌集寂光』として中央公論社より出したこともある。
しかし、三年の頃には自分の短歌にも限界を感じ、高村光太郎、立原道造、草野心平、室生犀星、萩原朔太郎、大手拓次などの詩を模したものを作りだした。
大学に入ってからは、もっぱら小説めいたものを書いていた。ところが『文学集団』という投稿誌に送った詩が入選したため、大学ノートの日記帳にまたぞろ書きなぐりの詩を書きだした。その大部分は『或る青春の日記』(中央公論社刊)に収めてある。
この青くさい詩集は、『文学集団』『詩学』に入選したもの(北杜夫全集第十五巻に収めてある)を初め、その他の未発表の詩をまとめたものである。ただここでは、『或る青春の日記』中の相当の作品も加えることにした。そのほか、大学ノートに記した日記には、ルナール風の短文、たとえば、瞬間、信号燈は青に変っていた。僕は立ちどまろうと思ったのに。
ようやっと吐きつけた文字を踏台として、僕はよじ登る、僕というハシゴを。
というような比較的自分で気に入ったものもかなりあるが、けずることにした。『寂光』と同様にこの本も、中央公論社の宮田毬栄さんがこしらえてくれた本である。このたび恥を忍んで、若い頃の稚拙な詩集を出すことにしたのは、中学五年の学徒動員の末期、理科少年であった私が、ようやく白秋や藤村の甘美な詩を手帳に書き記した頃、彼女の父上である大木惇夫氏の詩集『海原にありて歌える』の一篇「戦友別盃の歌」を愛唱し、空襲ですべてが焼けたあと新しく書きだした日記帳の裏にその詩を書き記した追憶にもよる。これも何かの因縁と言うべきであろう。
(「あとがき」より)
目次
- うすあおい岩かげ
- 班雪(はだらゆき)
- 成長
- 淫靡
- あの頃の歌
- 帰って来るものに
- 優曇華(うどんげ)
- 目ざめ
- しめやかな旅
- 穂高を見る
- 寂寥
- 停電哀歌
- 病葉(わくらば)
- 美について
- かげりゆく心に
- 人を想う
- 黒い高原:
- なまけもの
- 訴え
- 春夜に寄す
- 真夏の衝迫
- セリニアンの隠者
- Arbeit
- 出発
- 漂流
- 人生
- 細菌教室にて
- 愚問
- 亡われた神
- ある「わらい」について
- 絶縁状
- 山村にて
- 木枯
- 酒乱の歌
- かの夜を憶いだして唄える
- 果のないゆらめき
- 肺胞検鏡
- 天道虫
- とおい海鳴り
- 天蛾
- 遁生
- 春宵
- 秋の日を待つ
- 呪われたくちびる
- 童心
- 蒼天
- 荒寥地带
- 隠花の友
- 初冬
- 迷い子
- ひと夜
- 触知
- やせ犬
- 神話以後
- 盛夏
- 刻印
- 早春
- 日記より
あとがき