レオノーラ・キャリントン 野中雅代

 1997年10月、彩樹社から刊行された野中雅代によるレオノーラ・キャリントンの評伝。装幀は+COHO。

 

 レオノーラ・キャリントンに初めて逢ったのは、一九八五年大地震に襲われた直後のメキシコ・シティだった。当時はレオノーラについてのまとまった研究書は英語でもスペイン語でも皆無で、素手でこのシュルレアリスムの大家に会うことに私は躊躇した。今でも彼女は「あの時のあなたは大地震よりも私を恐れていた」と笑う。W・チャドウィックの「Women Artists and the Surrealist Movement』を目にしたのは、その直後だった。
 メキシコ・シティに始まったレオノーラとの出会いは、その後ニューヨーク、シカゴ、またメキシコでと続いた。三日月がペーパー・ムーンのようにかかるマンハッタンを共に歩いたこと。緑濃い夏のオーク・パークで、あき地一杯に群れて飛ぶ蛍に興奮したこ雪一面の冬のオーク・パークを歩きながら、レオノーラが純白の雪の上に残るきつねや他の動物の足跡を目ざとくみつけて、そのちがいを教えてくれたこと。人間の目の高さしか視線の届かない私に、どんよりとたれた雪空に高く伸びた木の枝にかかる鳥の巣を示してくれたこと。多くの思い出が私の心をよぎる。「あなたが私について知りたいことをいってごらん。教えてあげるから」というレオノーラに支えられて、覚つかない足取りで私はリサーチを続けていった。
 深まっていく友情とは別に、レオノーラの芸術を探るのは至難の技だった。彼女との出会いから一〇年以上を経て、彼女の仕事を垣間みたとはしても、彼女自身が「説明不可能」という領域を、言葉で説明するのは私には不可能な仕事に思われた。唯一私に出来ることは、彼女とイメージが棲む領域を、提示することだった。
 出会いから九年を経た一九九四年モンタレイでの回顧展のカタログにレオノーラが記してくれたのは、「マサヨ、すべての思い出をこめて。そしてもう一つの今・モンタレイ」だった。
 生存する最後のオリジナル・シュルレアリストとの出会いは、歴史との出会いともいえた。この幸運は、また多くの困難を伴った。作家本人と研究者との格闘だった。個人として守らなければならない聖域と、踏み込まなければならない対象とはしばしば衝突を起こす。それは生存する芸術家を扱うどの研究者も経験するディレンマである。
(「あとがき」より)

 

 

目次

  • イギリス時代――幼年期、反抗期
  • 愛――シュルレアリスム
  • 狂気――マドリッド、ニューヨーク
  • 新天地メキシコ、一九四〇年代
  • 亡命者たち
  • 結実――絵画、魔術、演劇、壁画
  • 一九九〇年代のレオノーラ
  • エピローグ・シュルレアリスムを生きる

あとがき


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