モダニズムの時代 中野嘉一

 1986年1月、宝文館から刊行された中野嘉一(1907~1998)の評論集。

 

 本書は十年程前に出した『前衛詩運動史の研究』モダニズム詩の系譜(大原新生社刊・昭和50・8)以後に書いたエッセイ・ノートの類をまとめたものである。本書にも私自身の詩的体験を根底に、日本の前衛詩、モダニズム詩の歴史に関わる論考が多く集められている。
 Ⅰ「モダニズムの詩人たち」の章は、前衛詩運動の展開を促したバックボーンとみられる季刊誌「詩と詩論」、その系統の「詩法」「新領土」そのほか「VOU」などの詩誌によって活動したモダニズムの詩人たちを対象とし、ほぼ同時代にあった私自身の個人的な感想ないし批判を試みたものである。
 この章では、特に前衛画家古賀春江について論じ、彼の詩は絵画の影の部分であるとみている。古賀春江阿部金剛とともに「リアン」初期に私たちと交流のあった詩人である。ここでは、詩人竹中久七と前衛画家たちとの交流、長篇詩「蝶と貝殻」を書いた画家三岸好太郎とポエジイ・グラフィクを方法とした古賀春江との比較論など、一九三〇年代のモダニズムを現象的に捉えようとしたのである。
 Ⅱ「リアン」詩運動の軌跡 これは前著で叙述した「リアン」の詩史的展望と重複したところもある。要約すれば、「リアン」詩運動は初期には形式主義詩から出発したものであるが、後期になって超現実主義とマルクス主義の批判的結合を意図する理論が多くなった。太平洋戦争開戦にさいして「一種独特のマルクス主義芸術運動」(長野地方裁判所検事局調書で用いられた言葉)として当局より弾圧をうけた。これが「リアン」事件である。
 今回「リアン」事件の解説、叙述に際し、資料としてこの事件に連座した高橋玄一郎(小岩井源一)の「予審終結決定」「保釈決定」など「高橋玄一郎追悼号」(「詩の家」68集、昭和53・8)誌上に横田真人氏が発表されたものを全文転載させて頂いた。また西山克太郎氏から「リアン」事件執筆に際し、貴重な資料を提供された御厚意に深謝する。
 Ⅲ「モダニズム詩の時代」ノートも私個人の回想的な文章が多く、書架にある大正末期ごろのダダの雑誌、シュルレアリスム関係の文献資料について、折にふれて雑誌に書いた論考なども含まれている。例えば「ダダイズム文献資料考」は一部、山中散生所蔵の資料(「シネ」所収)に拠ったものである。この章の中の「詩の革新と短歌」では、昭和初期に興った短歌のポエジイ運動にふれて書いた。この運動は「リアン」参加へのきっかけとなった私の詩的体験である。
 巻末に資料篇として、竹中久七の「リアン通説』と「リアン」総目次を付した。前者は竹中の御遺族竹中政代さんの御承諾を得て、全文を収録した。
 「リアン」総目次のうち、創刊号表紙絵Spielzeug(Buntlackiertes Holz)の作者名はAlmaEucherとなっているが、schのsがおちている。Alma Buscherが正しい。西山亮太郎氏の「『リアン』」装幀を縫って」「時の家」81集、昭和62・2)の中で指摘されているのでそれに拠った。ちなみに竹中久七は『リアン通説』の「リアン芸術運動の出発」の章で「リアン」創刊号の装幀について、「大体ドイツのバウハウス工芸運動の書のそれにヒントを得たものである」といっている。
 本書の校正中十月二十日、「リアン」の頃からの親友、藤田三郎氏が亡くなられた。謹んで御冥福を祈る。
 終りに本書の刊行をすすめて呉れた山田野理夫氏、編集・校正など御手伝い頂いた宮崎英二氏に心から感謝の中野嘉一言葉を申上げ度い。
(「あとがき」より)

 


目次

Ⅰ モダニズムの詩人たち

Ⅱ 「リアン」詩運動の軌跡

  • 「リアン」詩運動の軌跡
  • 1「詩と詩論」と「リアン」
  • 2「リアン」 芸術運動の展開
  • 3「リアン」事件について――官憲の眼に映じた芸術共産党
  • 4戦後の理論的展開――竹中久七の詩「寓話」
  • 5「リアン」と高橋玄一郎――詩と思想のパイオニア

Ⅲ 「モダニズム詩の時代」ノート

附資料

「リアン」通説―日本前衛詩運動史の一―資料(竹中久七)

Ⅰ「リアン」 芸術体系の大要

Ⅱ「リアン」芸術運動史話

附一九四六年四月綱領

「リアン」総目次

あとがき


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