季碑 海埜今日子詩集

 2001年7月、思潮社から刊行された海埜今日子の詩集。付録栞は野村喜和夫「めまいのようで、海埜今日子の詩を読むということは、」。

 

昨日は仕事納めでした。午後早めに、御苑から新宿駅に向かって歩いていました。私は小さい頃、小田急線沿線に住んでいました。買い物というと、小田急か京王、屋上の遊園地で、あひるに囲まれて泣いたこともあります(今、彼女たちを好きなのは、そのせいもあるかもしれません)。
父は、私が中学生の頃から亡くなる数年前まで、新宿六丁目で小さな劇団を持っていました。つい最近まで、現在は大きなビルの中ですが、共同経営者だったYさんが、舞台照明、機材などの会社を営んでいました。夜逃げしたらしいとのこと、今では看板だけが残っています。
よく、父たちのお芝居を観に行きました。都電の跡でしたか、緑歩道を通ります。今でも、うっそうと音のない通りですが、当時は突き当たりにつれこみ宿が立ち並んでおり、あやしい静けさがありました。
靖国通り新宿駅東口に向かって歩いていました。明治通りと交差する箇所で、ふと右手を見やります。丁度その先にありました。そのときは、はっきりと父を意識したわけではなく、ただ、これで二十一世紀まで新宿に来ることはないのだ、と思いました。空が、ずいぶん高く見えました。
私の会社は、今は御苑ですが、三、四年前まで、そのすぐ近くの五丁目でした。偶然もありますが、いつも、頭のどこかに新宿が入っていたことにもよります。二年ほど映画館でアルバイトをしたことがありました。新宿三丁目でした。昨日、その前を通って帰りました。その時は思い出さなかったのですが、二軒先の同系列館前に、甘栗を売っている小さなスペースがあります。私が勤めていた頃から、顔見知りのおじさんが、毎日欠かさずに作っています。昨日は若い女性でした。ふっと、後ろをふりむきたくなりました。
新宿通りを東口近くまで歩きます。スタジオ・アルタは私が小学生ぐらいまで、二光といっていました。ごくたまに、そこの上のレストランで食事をしました。埼京線に乗ります。新大久保のホテル街の看板を車窓に見ます。こちらは別の意味で、懐かしさが立ちのぼってきました。十代の終わり、あるいは二十歳。そうはいっても、普段は勤務先なので、もはや感慨は沸いてきません。この地を選んだことを後悔することもあります。
昨日だけでした。去年の仕事納めの日は、一九九九年でしたが、忘年会などで、まぎれてしまいました(私は会社の飲み会が苦手で、ほとんど参加したことがありません)。取り立てて何かが変わるわけではありませんが、やはりひとつの区切りなのでしょう。〝新宿"は私にとって、いつも別の地名として響いていたはずです。シンジュク、シンジュクニイクンダヨ。ささやかな旅程のおわり、あるいは始まり。昨日、街が久しぶりにやさしく滲んできました。彼女たちは、私がおしこめた名前のなかから、ようやく顔をのぞかせてくれたのです。
(「あとがきに代えて」)より)

 


目次


蝶恋記
新月
季碑 邂逅
岸辺にて 二〇〇〇円
ナンバンギセル
錆び
点描人(てんびょうびと)
ランチュウ
無記名劇
季碑 第五の季節
雨街
上海・リリィ・マルレェネ
灯の裏
海月星に棲む人々
葡萄小屋
あの桃
車窓夜曲
季碑 土地の名
手風琴
花のすきな子
クモつむぎ
満ち陽
つむる針
脱皮
シダに咲く花
完全な日だまり
水琴窟
季碑 交信

あとがきに代えて 新宿二〇〇〇年十二月二十九日

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索