1973年1月、炎社から刊行された北村均の第1詩集。挿画は新田稲美、装幀は三上雅弘。
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- 残り火
- 異邦人
- 学内風景
- 黒い系列
- らんぷ
- 水晶の墓
- どこへ
- 夜の夜のたゆたい
- 羞恥
- 秋
- 愛の言葉
- 自虐的終章
- 花言葉のフーガーあるいはブルースカイ喪失
- 花言葉のスケルツォあるいは零歳の記憶
- 花言葉のラプソディーあるいは振り向かないで
- 雪明り
- 木魚
- 砂丘から砂丘へ
- 一人の風景
- 通過列車
あとがき
2000年10月、思潮社から刊行された平田俊子(1955~)の第7詩集。装幀・装画は毛利一枝。
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1982年7月、大和書房から刊行された北村太郎(1922~1992)の詩論集。装画は田中靖夫。装幀は菊地信義(1943~)。
詩の詩 若い読者に
まず第一にたいせつなのは
背すじをすっきり伸ばすこと
そうしなきゃ見えてこない
詩の
目つぎに忘れてならないのは
底なしの憂愁、輝く快活
それがなくては見えやしないよ
詩の
鼻三番目、これこそ必須
あらゆる音楽をうたがうこと
でなきゃぜったい見えません
詩の
耳四番目、これが決め手か
つねに新鮮な罵詈雑言をくふうしたまえ
それでこそ初めて見えてくる
詩の
口最後にひとこと
以上すべての条件をみたしても
なんにも見えないことがあると思え
詩の
うすら笑いのほかには
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あとがき
作者別作品索引
1971年7月、マニフェストから刊行された岡庭昇(1942~)の第2詩集。
この詩集に収めた作品は、第一詩集『声と冒険』の後、一九六四年から一九七一年にかけて、「詩学」「現代詩手帖」「ユリイカ」「マニフェスト」「三田文学」などに発表されたものである。私はいっかんして完結した詩的情緒も、言語に依る美の構築も、詩を書くことのなかには求めなかったので、これらの作品は、いきおいばらばらな断片へ自らを追いやりつつ、幻影としてしか現前しない自己の信念の表明にとどまっていることであろう。だが私にとって詩のことぼとは、ひっきょうそのような生を生きるものであり、不確定なこの世界にむけてばらばらに飛び散り、飛び散りつつつき刺さる幻想の刃を担おうとするところにしか存在し得ない。(「あとがき」より)
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あとがき