2000年3月、小沢書店から刊行された井上究一郎の遺稿詩集。
父の詩集のこと
昨年晩秋の一日、病床の父の傍でぽつねんとしている時のことであった。父は私に、書斎から一冊に綴じた手書き原稿の詩集を持ってこさせ、読んでみるようにといった。「水の上の落葉」という表題がついている。一読して、これは父が、エッセー「三好達治」の中で触れているあの「草稿」のことだ、とわかった。
――私は後輩の誼から三好達治に師事していて、戦前広島の任地で、細々と詩作をつづけていたが、《四季》昭和十八年八月号に詩二篇を発表したのを最後に、未定稿の詩集「道しるべ」を小田原在任の詩人に託してインドシナのハノイに日本語教師を志願して船出したのであった。(中略)詩人が「遺稿になるのではないか」と書いている私の草稿は、それに添えた私の手紙とともに私に返送されて、いま私の筐底に埋もれている。そこにはハノイで作られた三年間の望郷の詩がつけくわえられているが、詩宗のせっかくの慫慂にもかかわらず、自信をなくした私はついに刊行を放棄したままこんにちにいたった。(一九八三年)
私の目前にある草稿には、さらに原爆後の広島をうたった詩とフランス時代の散文詩、それに跋の詩がつけくわえられている。父はこれらの詩を、そのうち印刷して、親しい方々にさし上げてほしい、といった。
やがて亡くなった父の、書斎から出てきた何冊ものノートを見て、父は子供のときから沢山の詩を書きためていたことがわかった。「道しるべ」の部には広島大学赴任以前の、職も希望もない暗い時代の詩がまじっていることもわかった。これらの詩はすべて、父の生前には一冊の詩集としての形をとることがなく、三好達治が予感した時から五十年余りもたって、今度こそ本当に遺稿になってしまったのである。
このたび、こうして草稿のままだったものが、父の願いをはるかに超えた美しい一冊の詩集に生まれ変わることができたのは、父の元教え子だった方々や、ゆかりある多くの方々から、大きなお力添えを賜ったおかげである。父の仕事に有難いご理解を示していただいたことにたいし、どんなに感謝しても感謝しきれない気持である。また、遺稿訳詩集と並んで、再び小沢書店をわずらわせたことについても、心からお礼を申し上げたい。一九九九年十二月二十日
金沢公子
目次
Ⅰ 道しるべ
Ⅱ 墓標
- 墓標
- 北折詩抄
- 一 旅路の果て
- 二 時計
- 三 田園の詩人
- 四 低い丘
- 草蘆のうた
- 一 いまは
- 二 とぼしい草に
- 三 友よ
- 樹木のない街はさびしい
- 窓から
- かりそめの構図
Ⅲ フランス小景詩
フランス小景詩
跋
道しるべ 再び
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