佐藤清遺稿詩集 佐藤清

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 1961年8月、詩聲社から刊行された佐藤清(1885~1960)の遺稿詩集。

 

 ここに故佐藤清の未發表詩稿をあつめて、遺稿詩集一答を編んだ。

 いまは武蔵野の露深い多磨の神聖な静寂のなかに、永遠に眠っている父が、生涯の最後の日まで仕事をしていた書斎の大きな机の前に向い、その椅子に座っていると、過ぎ去った幸福への思い出、過ぎ去った悩みへの思い出が、靜かにこの胸に溢れてくる。
 ここには父の心の神聖な秘密が、ながい歲月のあいだしまいこまれていた抽斗がある。そのなかには、最も親しかった人たちからの懷しい手紙類が入れてある。ロンドン・パリ・ミラノの繪葉書があり、京城・神戸・東京での家族や友人の寫眞がある。またここには、よみさして栞をはさんだまゝの和書や、頁ごとに書き入れやアンダー・ラインのしてある洋書がある。
 これらはすべて、いまは永遠に閉ざされたあの深い誠實な眼のほかには、およそ人の眼にふれたことのないものである。いまは誰もその秘密を讀みとり、これを完全に解き明かすことはできない。ひとたび花と吹き匂い、やがて儚く散って、地に落ちた薔薇や梅の花びらを、誰が再び寄せあつめて元の馥郁たる色と香に戻すことができよう。
 そうした秘められた品々のなかから、これらの詩篇は發見された。父自身の手で未残表詩稿と朱書された茶色の大きなハトロン封筒のなかに、無雑作に投げこまれていたのである。それは『詩聲』の校正刷や、騰寫刷の通知状などの粗末な紙の裏に、書きつゞられた文字通りの詩稿である。
 これらの詩稿のうちいくつかは、もし父がな生きていたならば、あるいは、『詩聲』の誌上に作品として發表されたかもしれない。またそのいくつかは、あるいは、全く發表されずに終ったかもしれない。それもいまとなっては、誰にもわからない。
 しかし思えば父は詩作においても、人生に對すると全く同じように、絶えず本當のことを本當の言葉で言い、人を吃驚させたり、眩惑させたりしようとはしなかったし、また人に感心してもらおうとも考えなかった。またあらゆる誇張や見せかけを拒否しつぶけてきた。父はある親しい人への手紙のなかでこういっている。

『人間は、誠意がなければ、どんなによい才能があっても、どんなによい氣質があっても、またどんなに善い行為をやったとしても、すべては帳消しとなる。詩においても、どんなに美辭麗句を飾り、どんなに絢爛精緻を誇ろうとも、その核心に、誠意というか、魂というか、言葉などではどうしてもい」あらわせぬようなすごいものが存在しなければ、すべては造花となり、枯尾花となる。』と。

 この未發表詩稿を、あるがまゝに、そのまゝのかたちで、遺稿詩集一巻としたのは、これらの詩篇こそ、詩人としての父の何よりもいちばん懐しい靈の秘密の告白となっている筈のものだからである。
 この詩集に収められた詩篇は、僅か十五篇にすぎない。しかし父が精魂を傾けて刊行しつゞけてきた『詩聲』の第二十八號の發送を終えたのが、その死の前日であったことを思えば、それは決して少なすぎはしない。父は、『詩聲』に發表し、のちに多くの親しい人たちの手によって詩集『おもとみち』一巻にあつめられた數多くの詩篇と、これら數少い未發表の詩篇とを、無心に歌いすてることによって、ついに、生涯を通して憧憬してやまなかった、透きとおるように青く澄みわたって消えることのない、碧玉の蒼空の靈とひとつになったのである。
(「あとがき/佐藤肇」より)

 

 目次

  • ある夜
  • 晝と夜
  • 金冠と詩句
  • <いちめんに廣がつた青空の幕が…>
  • 死の手
  • 光の海
  • <あたたかい、じめじめした風呂場の…>
  • 沙漠の夢
  • <一日、二日、三日、四日、五日と、…>
  • 惡魔
  • 接吻
  • 三つの怒
  • 「死」の方へ

佐藤清詩歴
あとがき


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関連リンク
Wikipedia(佐藤清)