1989年4月、オリジン出版センターから刊行されたアンソロジー。編集は天皇詩集編集委員会。装幀は山崎晨。
はじめに
昨年の九月十九日の天皇病変から今日までの時間は、この日本という国に住むわたしたちにとって、天皇と天皇制について考え、昭和という時代と自分自身を見つめ直すまたとない機会となった。この六十数年間、戦後直後の数年間でさえも、わたしたちは天皇の死という事態を現実のものとして考えたことはなかったのだ。それほどに、日本人の時間は天皇と天皇制によって蔽われていたといえるだろうし、それは天皇制に反対する側についても同じだったかもしれない。
しかし冷静に振り返ってみると、戦後、天皇と天皇制にたいする自由な批判が封じられたのは、一九六〇年の安保闘争以後のことであった。右翼少年による浅沼書記長の暗殺(一九六〇年)、深沢七郎の『風流夢譚』事件(一九六一年)、大江健三郎の『セブンティーン』への右翼の抗議(一九六二年)などが、ジャーナリズムと文学における天皇制批判を封殺していったが、右翼勢力によるテロリズムや強迫――ジャーナリズムの自粛――書き手の自己規制――天皇制賛美の知識人の出現――というかたちで進んだこの封殺の背景には、安保闘争で示された民衆の力への保守勢力の恐怖があったことは明らかだった。
詩というジャンルにおいては、天皇問題は小説の場合はどドラマチックな形をとらなかったが、戦後文学批判と同じ年に行われた現代詩の会の解散(一九六四年)を一つの曲り角として、現代詩の表向きの繁栄とはうらはらに、戦争への反省や、権力への自由な批判は、詩の主流から姿を消していった。
戦後現代詩の主流と見なされていた「荒地」の詩人たちや、いわゆる五十年代、六十年代、あるいはそれ以後の詩人たちが批評精神を失っていった時代、戦争や天皇のテーマを書きつづけてきたのは、女性や、沖縄をはじめとする地方の詩人たち、在日の詩人たち、そしてなんらかの形で戦争を経験しながら主流とははなれたところで書きつづけていた詩人たちだった。読者はこの本のなかに、その具体的な表れを見ることができるだろう。この時代を貫いていた底流があってはじめて、昨年の九月十九日以後の詩人たちの、この問題をめぐっての比較的活発な創作活動がありえたのだと思う。『天皇詩集』は、昭和という一時代と、この時代に深い影を落していた天皇と天皇制を、詩という文学形式を通して振り返り、検証する目的で、編纂された。公募が発表され、詩人たちに寄稿の要請と作品掲載の依頼がなされたのは、九月十九日に二週間先立つ九月五日のことだった。十二月十五日の締切りまでに、三百数十篇の作品が寄せられ、数回の編集委員会で検討の結果、ページ数の制限とも考えあわせて、八十八篇の作品掲載が決定した。すべて敗戦から一九八八年十二月十五日までの約四十二年間に書かれた作品であり、天皇没後のものははいっていない。内容的には天皇と天皇制、その精神や支配の構造をテーマとしたものにしぼり、広義の反戦平和詩はほぼ割愛した。
さきにものべたように、この詩集は、日本の詩人の精神の位相を示すものであるが、多くの力作が集まった反面、既成概念に寄りかかった、表現の工夫の足りないステレオタイプの傾向も見られたととは、参加した編集委員の共通した不満であった。しかしわたしたちは、この詩集を最初で最後の天皇詩集とは考えていない。昭和の残したものがまだ終わっていないように、天皇と天皇制の問題も、残念ながらまだ終わっていない。この詩集を一つの踏み台として、詩人の精神の自由を証しする、次のステップに歩み出ることを考えている。
万世一系の天皇制とは一つのフィクションに過ぎず、近代天皇制が明治以後、日本の近代化のために人為的に復活させられた支配装置であることは、今日ではほぼ常識になっている。しかしそれは、昭和の前半には人びとをアジアを侵略する戦争に、後半には労働とマイホームづくりに狩り立てるために、十二分に役立ったのだった。今日もまだ天皇制官僚群はのこっている。新たな階層化や性差別、管理体制をつよめていくと思われる、平成といわれる時代の天皇と天皇制についても、古代からの天皇制と王朝文化についても、わたしたちはしっかり見つめ考え、対処していかなければならないだろう。
農業を切りすて、有害物質をまき散らして地球と生命を破壊しながら獲得した“豊かさ”とたたかい、日本人が真の自由を確立し、文学が文学本来の役割をとり戻すために、この本が役立つことができれば幸いである。
(執筆担当・高良留美子)
一九八九年三月二十一日
目次
はじめに 編集委員会
1昭和が終る日
- 最新版・象さん 安里健
- ビリルビン黄帝の黄昏 石黒忠
- ていのう 一色真理
- 天皇陛下への手紙 岡島弘子
- 列 金井直
- おとうすの日 くにさだきみ
- 昭和が終る日 栗原貞子
- 王様は裸だ 高良留美子
- 遷都余聞 重国林
- 水引草赤く 鈴木初江
- 人造人間 関根弘
- 前夜点景 竹内辰郎
- 途説片々抄 寺島珠雄
- 血と星 難波律郎
- NHK 広田弘子
- 母の略歴 真下章
- 「昭和」トイウ名ノカタ 松本恭輔
- お言葉 森野満之
- くらべる 若葉永久子
2象徴が通る
- 背なかにはない 秋山清
- 半蔵門にて 石川逸子
- よろこびの日に 石垣りん
- 象徴の象徴 伊藤信吉
- 恩賜のタバコ 稲葉嘉和
- 四十三年がたった 井之川巨
- 系図 茨木のり子
- 菊 今辻和典
- 猿まわしの猿と猿まわし 大河原巌
- 歯痛のとき 木原実
- つれづれのうた抄 桑原啓善
- 歌 小松弘愛
- 夜汽車で しま・ようこ
- このしろ 新藤マサ子
- 御用蔵 鈴木文子
- 御巡幸の日に 高原村夫
- 手錠と菊の花 鳥見迅彦
- 御召機関車の残業 中村紀代士
- <希望>の家族 中森美方
- カサヒロ神茸 錦米次郎
- 皇居前広場 花田英三
- お木曳 浜川弥
- ヒロヒトが退位にのぞんでよめる歌 船方一
- 昭和 松尾静明
- 天皇通過 まつうらまさお
- 国境へ 吉田欣一
- 天王が来る・天皇が通る 渡辺啓吉
3白馬の天皇
- 中間者 安西均
- 銃声が聞こえる 井上俊夫
- 日月の葬列 小笠原茂介
- 赤子 岡本潤
- 風化 門田照子
- 黒揚羽とステッキ 木津川昭夫
- のおてれふぁいらあ 木村和
- 菊 斎藤怘
- 四十人の尻 清水清
- 夢の塗り変え 新藤涼子
- 勲章 谷川俊太郎
- 原爆と天皇 九十九一生
- 一九〇一年生れのある人に 長岡弘芳
- 兄さあよ兄さあよ 長田大三郎
- 神 鳴海英吉
- 花が散った 野口清子
- 或る殺意 浜口国雄
- 酔いどれ問答 平光善久
- もったいなくも 別所真紀子
- 弱兵 真尾倍弘
- とまどい 望月久
- 空襲警報は解除されていない 森田進
- 白馬の天皇 山田かん
- 御真影 ゆきなかすみお
- あ 横川澄夫
4やあふんぬ日本(ヤマト)
- やあふんぬ 静 上原静
- 奴隸讃歌 植松安太郎
- きみあゆうあ 大崎二郎
- 島売り天皇 鳳真治
- 灰にしてやる 沖島正
- 天皇へ 小野和子
- 詩は詩である(のかどうか) 金丸桝一
- 日本刀 金明植
- コスモス 雀龍源
- ム所の天皇 芝憲子
- 怨靈二十万 おりました ヘイカ 関本肇
- 哀のパラドックス 宗秋月
- 黙禱の沼 高良勉
- 眠る なかけんじ
- 嗚呼御真影奉護隊 堀場清子
- 生花 八重洋一郎
- 夢魔 与那覇幹夫
付記 編集委員会