骨片文字 栗生詩話会編

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 1980年11月、皓星社から刊行されたハンセン病合同詩集。

 

 栗生楽泉園の詩話会の合同詩集『くまざさの実』が刊行されてから七年経った。そのときの詩人のうちの六人に、新たな詩人四名が加わって、今回の十人詩集『骨片文字』が編まれることになった。新たな詩人という言葉を用いたが、それは「若い詩人」を意味していない。五十歳、六十歳にちかい、新しく書きはじめた人たちである。晩年になってなぜ、詩を書きはじめようとするのか。「詩は青春の所産である」という通俗的な想定から判断するならば奇異であろう。
 この詩集を、たんねんに、注意ぶかく読んでいただきたい。明治四〇年生れの武内慎之助さん(故人)を除けば、平均年齢は五十四歳。老いてなぜ詩を書くのか、という問いに対する答えは明らかである。詩が青春の所産であるならば、まさにその青春のすべてが奪われたから詩を書くのだという、すさまじい文学的な弾性が、この十人の詩人のなかに存在しても不思議でない。
 かってわたしは、草津のこれらの多くの人々が綴ったライ文学に、四つの要素をあげた。一は自殺。二は望郷。三はボディ・イメージ(環境への身体的写像)。四は全体的回復。一つびとつについての解説には紙幅がないので省略させていただくが、この『骨片文字』についていえば、一の自殺のキイワードが消失、あるいは隠されて、二、三、四が主な旋律をつくっている。とくに、二の望郷がつよい。これは外の社会のような古里志向とは異なるもので、故郷や祖国から追われ、断ち切られ、阻まれた者が、帰国すべき肉体と心を、この場所に終らせなければならない、無念と飢餓感の望郷である。三のボディ・イメージについては、十人の詩人のうち、三人が全盲、一人が弱視である。全盲であるにもかかわらず、一輪の花が自分に顔を向けているかどうかを判断しようとする詩があって、環境世界と肉体との対応において、作者が緊張的に生き、描写しようとした現実を、わたしたちは発見する。
 このようにして、奪われた人間がかろうじて主張しようとするわが生が、詩となる、かぼそく、小さな生の声であり、じつはそのことが、他の何者もなしえなかった大きな主張=全体的回復への渇望の声となる。いま、草津の「つつじ公園」、碑のそばに立つと、足もとの赤土に白く乾いた小石のようなものの散乱をみ
 る。掌にのせれば軽い。それは無数の骨片だ。砂礫のように小さなものが、生者と死者の共有の記憶である。それらが文字となってなお残ろうとする。日本からやがてライが消えても(すなわちハンセン氏病の人が死に絶えても)、この詩集が消えることのないように、誰かの手に確実に渡されてゆくように、せつに願っている。

 作品順は作者の生年順にしたがった。(敬称略)
 武内慎之助 一九〇七年(故人)
 加藤三郎 一九一〇年七〇歳
 古川時夫 一九一八年 六二歲
 香山末子 一九二三年 五八歲(韓国)
 藤田三四郎 一九二六年 五四歲
 C・トロチェフ 一九二八年 五二歲(ロシア)
 越一人 一九三一年 四九歲
 小村喜代一 一九三一年 四九
 谺雄二 一九三三年 四八歲
 山口謹史 一九三四年 四六歲(当園職員)

 最後に視力障害者の口述の詩を筆記してくださった、見知らぬ方々に厚くお礼を申しあげます。
(「持たざるものを書く/村松武司」より)

 

 

 詩の会が楽泉園で始められたのは戦後間もない昭和二十二年、機関紙『高原』が初発刊された頃、編集に当っていた高橋晴緒氏外何名かの若い療友によってなされた詩作活動が発端となっています。
 昭和二十七年の秋、詩人の大江満雄先生を選者としてお迎えし指導を仰ぐようになってから栗生詩話会として発足しました。その後大江先生に引きつづいて、昭和三十二年から、彫刻家で詩人の井手則雄先生の指導をいただき、十年余の成果とも云うべき第一合同詩集『草津の柵』を出版しました。そして昭和三十九年十一月から村松武司氏に、指導と選稿を担当ねがい昭和四十八年五月、第二合同詩集『くまざさの実』それに次ぐ今回の第三合同詩集『骨片文字』を世に送ることが出来ましたことは、よき指導者をお迎えできた賜物と感謝しているところであります。
 しかし詩の会が楽泉園に誕生して三十有余年の間、その変貌は著しく、隔離撲滅時代とも云われた療養所が、昭和二十三年のプロミンの出現と合せて医学の進歩等著しく、入所当時には考えることの出来なかった療養生活に我々は生きる喜びを感じるようになりました。従ってリハビリテーションによって不自由だった機能を回復させ天寿を全うさせようと云う機運が高まっている昨今であります。
 合同詩集『骨片文字』の作者は、あの暗い療養生活から現在の明るい時代に生き、その体験を歌い続けてきました。不治の病いと云われた、この病気も治癒する時代に生きながら、その明るさに向って詩作するとき、いまもなお隔離時代の影が覆いかぶさって来るのです。それは閉ざされた痛みの疼きであり、その記憶は詩作のペンをにぶらせてしまいがちです。その疼きに向って私たちは思考し、年々重なる障害を克服するために作品を書いてきました。これが少しでも暗い過去をのり越えた明るさに近づけばと念いながら生きて来た、私共の心の証でもあります。
(「後記/加藤三郎」より)

 

 

 

目次

序 小林茂
持たざるものを書く 村松武司

・武內慎之助詩集

  • 納められた骨
  • 橋下の秋
  • 妻の手
  • 雑居生活
  • 岩の家
  • 足を断つかと問わるる
  • 忘れられた風鈴

・加藤三郎詩集

  • 僕らの村
  • 食堂の味
  • 何がどう変っても
  • あなたがたは倖せですか
  • 僕らの村の菊花展
  • 夏の日に
  • 雪の中の畳
  • 雪の降った夜のこと
  • おもいでの白い歯
  • ある影像
  • 甦ッタ面影
  • ふるさとの地蔵さま
  • 生の重味
  • 慰霊祭
  • 風邪に臥して
  • 無影灯の下で
  • 追憶の影

・古川時夫詩集

  • 高原は四月
  • 日めくり
  • 午後八時
  • 消えた指
  • おれの古里
  • 怒り
  • 兄への土産
  • 私のくす玉
  • 白檀の首飾

・香山末子詩集

  • 韓国の夏
  • ふるさとの郵便
  • 何か
  • 夢の中の子供
  • 汐風
  • 六月二十四日
  • 硝子戸と冬
  • 好きな川
  • 手さぐり
  • 六月十日
  • 松のかげ
  • 故郷韓国
  • 地獄谷
  • 指と目
  • 買物の話

・藤田三四郎詩集

  • 暗夜の中から光へ
  • 雑草取り
  • 旅に向って
  • 時は刻まれる
  • 五十四年元旦の朝
  • 手袋のささやき
  • 切符を手にして歩く
  • 心に生きる母
  • 恵ちゃんとの出会
  • 四月一日
  • 元旦
  • 五二年一月二九日
  • 小さな故里
  • 春光

・C・トロチエフ詩集

  • 冬のうた
  • 黒人のうた
  • 旅のうた
  • 日比谷公園
  • ロジナ
  • 病院
  • ダム
  • 畝傍山
  • こうふく
  • 岡真史君
  • ふるさと

・越一人詩集

  • 帰郷
  • 時間に
  • 靴下
  • 秋の蝶
  • 青春
  • 湯気のむこうに
  • その日
  • ベッドの窪み
  • 天気
  • 二月
  • 病んでいた夏
  • 流れ星
  • つつじ公園にて・第一章・残骨拾集 第三章・血のりの薪 第七章・あの赤い屋根の下で 第十章・一輪の花

・小村喜代一詩集

  • 幻覚
  • 同居人
  • 石廊崎
  • 無題
  • 孤独

・谺雄二詩集

  • 追悼三題・告別はせず
  • チチよ
  • 会議を終えて
  • 夢の雪の中で

・山口謹史詩集

後記 加藤三郎


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