1963年7月、現代思潮社から刊行された谷川雁の評論集。装幀は粟津潔。
八宝菜のようなこの本の再版が、亀裂の五年間をへたいまの読者に何をもたらすか、私にはほとんど測定しがたい。「原点」という極微の観念を定立しなければ、この世との先験的な関係に刃向うすべをもたなかったひとりの青年があったことだけは、率直に断言しておこう。おそらく私はあまりにもちいさな星のうえに、二つの足裏さえ落ちつくことのできない球のうえに生まれたのである。
めのまえに水車を横だおしにしたような矢弦(やげん)があり、ゆるやかにめぐる鉄輪からしたたり落ちる水音だけがきこえる。炭坑の捲場裏に仮設されたピケ小屋で、旧著のあとがきを認めるという苦痛に出会うのは、偶然でしかないにもかかわらず、どこか待ち受けた瞬間という感じがある。もしかすれば私のアニマはこの瞬間を古い時の坑道から捲きあげょうとして、営々とワイヤィをひっぱりつづけていたのかもしれない。
そういえば「原点が存在する」という小文の舞台になった、阿蘇の乾いたちいさな谷の河床でも、やはり私はいまのように風に逆らい、紙を手でおさえていた。私と紙きれとのそんな嫌がらせあいは、なおつづくことだろう。親切な読者に希望したいのはそこのところを読んでもらうことである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 原点が存在する
- 層ということ
- 深淵もまた成長しなければならぬ
- 組織とエネルギー
- 民衆の無党派的エネルギー
- 幻影の革命政府について
- 無を噛みくだく融合へ
- 工作者の死体に萌えるもの
- ペンでうらみを晴らす道
- さらに深く集団の意味を
Ⅱ
- 東洋の村の入口で
- 「農民」が欠けている
- 現代詩における近代主義と農民
- 農村と詩
- 農村の中の近代
- 自分のなかの他人へ
Ⅲ
- 詩と政治の関係
- 党員詩人の戦争責任
- 辺境の眼は疑う
- 現代詩の歴史的自覚
- 毛沢東の詩と中国革命
Ⅳ
Ⅴ
- アラゴンについて
- 欠席した人々へ
- 現代詩時評
- 流浪のための定着
- 「貞節」のたぬきわな
- 兵士の恐怖は怪物にならぬ
- ある博物誌の一節
- あじあ人の従弟として
- 一日おくれの正確な時計
- 現代詩鑑賞
- 機関庫から詩集までのちいさいスリップ
- わが代表作
あとがき