1993年3月、本阿弥書店から刊行された柳生千枝子(1913~)の第2句集。装幀は内田克巳。著者は港区生まれ、刊行時の住所は芦屋市南宮町。
目次
- 師の一句 岡本圭岳
- 白蛾 昭和二十九年~三十七年
- 地平の紺 昭和三十八年~四十九年
- 銀化 昭和五十年~六十年
- 霜凪 昭和六十一年~平成三年
- 両巾振らん 安水稔和
あとがき
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1983年11月、国文社から刊行された鈴木志郎康(1935~)の詩集。装幀は三嶋典東。
一九八一年の秋に清水鱗造さんから「書きおろし詩集」をやってみないかと話を受けた。それから発行に至るまでに丁度二年経ってしまった。まずはじめは、日頃詩を書いている発想の仕方で、長い詩をいくつか書けばよいように思っていた。それから、一連の長い詩を書くために主題がいるように思えて来て、「二つの旅」ということを考えた。しかし、主題を決めたということが、そんなふうに詩を書いたことがなかったわたくしに、書くことを非常にむずかしくしてしまった。改めてわたしが詩を書くとき、日常生活しているときの気分に乗って書いていることをはっきりさせることになった。書けないままに、一年余りが経ってしまった。記憶に残っている事実と、その事実に書く段階で気分的にかかわる仕方がわからなかったのだ。
その仕方がわかったから書けたというわけではないが、結局約束がのびのびになっているのが心苦しくなって、昨年の十二月に盛岡市に旅行した折に、岩手山の北側にある湯治場の松川温泉まで足をのばし、そこで思い切って「西の旅」を書くことができた。行わけにことばを書くというのは、気分を持ち上げていなくてはならないが、記憶を辿りながら気分を持ち上げた状態を保つのは意外にむずかしいことだった。雪に降り込められたような、行くところもない場所で寝起きしているのは、記憶に沈潜するのにはよいが、それと、行わけのことばを維持するのとはどうも違うようだ。ことばとしては同じで、シンタックスも変らないけれど、散文体とは違って、感情を生起させる仕掛け、または装置、または働きをことばに組み入れなくてはならない、ということが思うままにならないのである。
「西の旅」を書いて、その仕方で「東の旅」も書けるのではないかと思ったが、そうは行かなかった。日常生活から離れたところに籠るということもできないまま、日頃の書き方で記憶を交錯させて書くよりなかった。それで、この方は何回かに分けて書くことになって、今年の四月の末にようやく書き上げることができた。
記憶をもとにしてことばを繰り出すということをしているが、ことばで記憶がどこまで辿れるかということを考えているわけではない。また、自分の記憶を他人に語りたいという気持はあるが、それを他人に語ってどれ程のことがあるのかという気持もある。書き終えて、出て来たものを見ると、まだまだわたしは生きる積りで、現在の自分の考え方に立って、非常にエゴイスティックに記憶にあるものを意味づけているようである。といって、その意味の展開が十分になされているとも思えない。しかし、ここで一度持ち出してしまったからには、それはそれで続けなくてはならないだろう。この詩集は、わたし個人にとって結着に手をつけたと同時に、別に足の方は踏み出した地点を示しているものといえる。
(「あとがき」より)
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あとがき
1977年3月、泰流社から刊行された五月みどり(1939~)のエッセイ集。企画・監修は片岡直彦。写真は内藤忠行、装幀は遊糸+大泉講平。
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1977年11月、詩稿社から刊行された夏目漠(1910~1993)の第3詩集。
「火の中の眼」という詩集を出したのが、昭和三六年七月であったので、これは、十七年ぶりにとりまとめたことになる。思えば永いこと自己点検を怠ったものだ。
多数の作品のなかから、篩いにかくベきはかけて編むという作業は、厖大な時間(およそ八ヶ月)と根気とを要し、その間、ほかのことは見送るのやむなきに至った。ほかのこと、つまり新たに創作するなどの仕事ができなくて、過去の自分と取組んでばかりきたわけだ。
そんな一面を伴ったにしても、本詩集が日の目を見たことは、自分自身にとって、意味が薄くはないのであって、むしろ満足感もあるようだ。即ち昭和三〇年ごろから今日までの二〇年間の、その都度単発的に作ったものを、暦順ではなくて色彩別に並べなおし整列させてみると、新たな眺めが得られなくもない。ばらばらの手足が、人間の形にまとめられ、しかもその形が、霧がはれて明瞭になったような気がするのである。詩集づくりは、私の場合”私の私による再発見”であるのであろうか。
明かに病者である私。「四季」では、それほどでもないが、「ぼくらは叫んで…」では躁のようだし、「日常の死」では鬱、ついに「颯爽たる無」では、竹の筒同然の中空者なのだ。
この四つに分裂し、分裂しながら変にうねり狂っているようなパーソナリティは、ひとりの人間、幼少期から成熟期を経て喪失の壮老年に達する過程を、なぞっているようにも見える。われながら笑止の至り、単純稚拙…おまえはまだこんな所にもたついているのかと笑われそうで、内心困惑気味である。
けれども、これを出すことによって、身軽になりそうな気がするのも、事実である。開き直って、骨の髄まで曝したからには、もうこれ以上堕ちることはあるまい。羞恥は、一度は超えるに値するもののようである。
気羞かしい身心の曠野を、こうして世にさらすことを、おゆるし下されたい。気味わるがらないで頂きたい。辱知のかたがた――島尾敏雄氏、椋鳩十氏、五代夏夫氏、そしてわが詩の直接の判官――井上岩夫氏ならびに「詩稿」同人諸兄に、はにかんでこれを捧げたく思う。またこの一冊の誕生を待って下さった友人諸氏にも。願わくば、ご叱正あらんことを。
(「あとがき」より)
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・四季
・ぼくらは叫んで暮らすべきである
・日々の死
・颯爽たる無
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