1926(大正15)年12月、百田宗治(1893~1955)の椎の木社から刊行された伊藤整(1905~1969)の第1詩集。画像は復刻版。
詩集を出すことなど考へもしなかつた私も、自分の為のこの小さな記念碑をたてる事になつた。
考へてみれば十五六の年からもう七八年も私は詩を書いて暮して来たのだ。それは心細い寂しい不安な年月であつた。私は詩壇に一人の先輩も知友もなかつた。私が敢てそれを求めもしなかつたのは、たゞさへ自分を捉へることの面倒な詩の世界で、當然被るべき影響の為に、自分自身を失ふのを何よりも恐れたのである。私が詩を書き始めた頃から詩壇そのものは、すでに一時代を経過してゐる。私はそれを遠く横目で見ながら、どうしたら、何時になつたら自分自身を捉へれるのかと、それのみの為に苦しんできた。そして自分を信じることも無かつたが、どんな場合も詩をあきらめる事だけは出来なかつた。私が詩に便り、私の詩情がまた、自信のない私に頼つて居る様であつた。今伊勢に居る歌人北見恂吉氏がはじめ私にとつて唯一の指導者だつたけれども、氏が歌に専念になられてから、私は全く独りぼつちであつた。その結果として私は詩壇の流行の型に煩されずに来た。それを今でも私は私の小さな幸福等のうちの一つに数へるのである。私の長い間の苦難に対して、私は私だけの道を歩いて来たとばかりの誇は持つ資格があると信じたいのだ。(「序」より)
目次
序
- 春日
- 暗い夏
- 雨の來る前
- 雨
- 十字街
- 風
- 女
- 梅ちやん
- 夜まはり
- 夏の終り
- 白い障子
- 秋
- 瓜姫
- 春を待つ
- 電信柱
- その夜
- 霜の朝
- 雪の夜
- 十一月
- 雪明り
- 餠をつく
- 夜
- 私は甲虫
- 春の夜
- 少年の死んだ日
- 夕方
- 雪解
- 夕方
- 春
- あけ方
- 顏
- 春宵
- 街で
- 馬
- 社會
- 糧を求める
- 過敏
- 思想
- 言葉
- 氣輕さ
- 逃れる
- Anton Tchekhoff
- 幕合
- 京都
- 忍路
- Yeats.
- 葡萄園にて
- 秋の戀びと
- 青葉の朝に
- 池のほとり
- 月光
- 山に來た雪
- 深夜の繪
- 十一月
- 雪の來る朝
- 雪の夜解散する群集
- 山鳴り
- 凍てついた夜
- 冬の詩三篇
- ひとりで思ふ
- 四月の暖い夜
- 果樹園の夜
- 惡夢
- 日ざし
- 丘の乙女
- 小樽は祭
- ひとしから
- 夜明け
- 良い朝
- あやまち
- 月は銀
- 小樽の秋
- 夜の霰
- 雪夜
- 故鄕に目ざめる
- 昔の室
- 雪の夜も
- 月あかりを窺ふ
- 目覺めてはいけない
- 發熱
- 雪あかりの人
- 吹雪の街を
- 雪の朝
- 春
- 病
- ひとしから
- 壽に
- 林に來て
- 樂しい夜道
- 落葉松の風
- ひとりしづか
- あなたは人形
- 蕗になる
- 惡い蛙
- 月夜を歩く
- 林檎園の月
- また月夜
- かんこう
- 林檎園の六月
- 憂鬱な夏
- 山へ
- 夏になれば
- 九月
- 女性は笑ふ
- 大事な私
- 世間の顔
- 世間の顏
- 笑つてならない
- 面倒な言葉
- だまつてゐると
- あいつら
- 頑なさ
- 見ざる聞かざる言はざる
- みんなの分まで
- 野の風
- 目覺め
関連リンク
おたる文学散歩 第20話伊藤整詩集『雪明りの路』(広報おたる平成20年2月号掲載)
伊藤整の詩(PO9号 昭和52/1977年4月25日)
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