1986年8月、思潮社から刊行された朝倉勇の第5詩集。装幀は柳町恒彦。装画は著者。
小学校時代に僕は芝公園に住んでいて、そこは芝区であった。いま住んでいる港区元麻布は、当時は麻布区で、それに赤坂区を加えた三つの区で現在の港区がつくられた。港区元麻布一丁目は仙台坂に面している。仙台坂は、江戸時代このあたりに仙台藩の下屋敷があったことから名付けられたものだ。その長さ、およそ三○○メートル。坂の上からは、芝浦の海が見えたはずだ。すこし離れて南部坂があり、これは南部藩の屋敷があったことに由来する。広い武家屋敷のいくつかは、現在は外国の大使館になっている。仙台坂の韓国大使館、南部坂のドイツ連邦大使館、そしてフランス大使館、オーストリア大使館、オーストラリア大使館などみなそうだ。
麻布は坂と寺が多い。汐見坂、富士見坂、暗闇坂、鳥居坂、芋洗坂などと、坂の名だけが歴史をとどめている。坂のある街が僕は好きで、地下鉄駅から十五分という都心にしては不便な場所に住むことになったのも、坂のもつ風情とこの界わいの好ましさにひかれたためだ。九年経った。
昭和五十九年(一九八四年)の秋に二十日ほど入院し、家に戻ると八階の窓から見える風物がひどく新鮮であった。それがこの詩集の一篇目「声の壁」となり、そのあと日曜日ごとに書くようになった。そして一年四ヶ月の日曜日の覚書が、こんな形になった。
見ること。見て感じること。この単純な作業が、僕には大切なことに思える。そして「創造とはつくることではなく、受け入れることであり」という高内壮介さんの言葉(岡崎清一郎論)につよい共感を覚える。書くに際しては、見えたものに忠実に、と考えてきた。
街は変る。刻々とコンクリート化されていく麻布。しかし見ることによって、僕は次第にこの街の生活者になっていくように思えるのだ。街が、いまではいくらか僕を受け入れてくれるように感じられる。
(「あとがき」より)
目次
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- 声の壁 一九八四年十一月二十五日
- そば屋のあと 十二月二日
- 細いみどり色 十二月九日
- 本のひっこし 十二月十六日
- 猫のかなしみ 十二月二十三日
- 香り 十二月三十日
- 人は何を食べてきたか 一九八五年一月六日
- 緑の車体 一月十三日
- お葬式 一月二十日
- 火の用心 一月二十七日
- 節分の蜂 二月三日
- 雨のあした 二月十日
- 日曜日の仕事 二月十日
- 花 二月十七日
- 遠い音 二月二十四日
- 呼吸 三月三日
- ブランデンブルク協奏曲 三月三日
- 神 三月十日
- 雨の空 三月十七日
- 遠い声 三月二十四日
- 修業 三月三十一日
- レオナルドの目 四月七日
- アイスクリーム 四月十四日
- ルネッサンス 四月二十一日
- 月桂樹 四月二十八日
- くぼみ 五月五日
- 謝肉祭 五月十二日
- しゃくやく 五月十九日
- 樫 五月二十六日
- トースト 六月二日
- 彼の家 六月九日
- フランドル 六月十六日
- コスモス 六月二十三日
- 雄と雌 六月三十日
- 七月七日 七月七日
- 雷 七月十四日
- スイス人ととうふ 七月二十一日
- アポリネールさん 七月二十八日
- 巻雲 八月四日
- 大雨 八月十一日
- 夜の蝉 八月十八日
- Letitbe 八月二十五日
- 数 九月一日
- 眼の力 九月八日
- 小フーガ 九月十五日
- しじみ貝蝶 九月二十二日
- 葬い 九月二十九日
- ムッシュ・パブロ 十月六日
- 七回忌 十月十三日
- ざくろ 十月二十日
- 秋のアリ 十月二十七日
- 信州へ 十一月三日
- カリン 十一月十日
- からす 十一月十七日
- ざくろ 十一月二十四日
- 声 十二月一日
- 暮鳥的な朝 十二月八日
- 目 十二月十五日
- 坂 十二月二十二日
- 神田川 十二月二十九日
- つがい 一九八六年一月五日
- やきいも 一月十二日
- 空の帯 一月十九日
- ダイヤモンド 一月二十六日
- 予告 二月二日
- 木 二月九日
- 重力をもつ意志 二月十六日
- 木のトルソ 二月二十三日
- ローランサン 三月二日
- 夜のあひる 三月九日
- グアテマラ・コーヒー 三月十六日
- 雪の音 三月二十三日
- 遅い春 三月三十日
- 院殿 四月六日
- 桜の空間 四月十三日
あとがき