青い波がくずれる 戸石泰一

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 1972年12月、東邦出版社から刊行された戸石泰一(1919~1978)の短編小説集。装幀は木内廣。

 

 約十年間、教員組合の仕事をつづけて、昨年やめ、ほぼ二十年ぶりに小説を書いた。小山清君についての『そのころ』(「民主文学」七一・四)である。小山君のもともとの病気は、心臓の僧帽弁閉鎖不完全症というものであった。それがわるくて脳血栓になり失語症に陥ったりもしたのである。私が、組合をやめたのも心臓を悪くしたためで、病名も大動脈弁閉鎖不全である。そこに、なにがしかの思いがあった。
 それからいくつかの作品を書き、ことしは『青い波がくずれる』(民主文学」七二・七)を書き、この本のために『別離』を書いた。田中英光については、昭和二十七年、「小説新潮」に『田中英光』と題するいわゆる”実名小説”を発表させてもらったことがある。また、『別離』は、筑摩書房の旧版太宰治全集別巻「太宰治研究」に掲載された『青春』という記録を、全く新しく書き改めたものだ。
 太宰や英光が死んでからもう二十年以上の年月がたち、小山君が死んでからでさえ、七年になる。来年は、小山君が死んだと同じ五十四歳になるが、太宰や英光よりは、ずっと年上になってしまったわけだ。
 こうして三人について書いてみると、おや、あのときは、こうだったのか、と改めて胸をつかれるような思いにとらわれることが多かった。それは、三人にだけではなく、その他の人々に関してもである。しかし、もちろんそのすべてを書いたわけではない。むしろ、その多くは、あえて書かなかった。
 それにしても、特に太宰は、このような形式で作品にするには、難しい作家であり人間であることが、よくわかった。小山君についても、まだ書きたいことがあるが、それとはまた違った意味で、別に評伝あるいは評論を書かねばならない、と思っている。
 十年の教員組合生活と、さらにその前十年の現場の教員生活は、%私を、さまざまにきたえ、豊かにしてくれた。起承転結という言葉があるが、そろそろ私の人生も、結の時代をはじめようとしている。できるだけ長生きして、作品を書きつづけてゆきたい。
(「あとがき」より)

 
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あとがき


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