1972年7月、冬樹社から刊行された室生犀星の自伝小説集。装幀は勝呂忠。
この本に収められた第1部の自叙伝は、父自身の編集により、次のような序文を添えて、昭和二十四年六月、文潮社から『自叙伝全集』のシリーズの一つとして出版された。
自伝的な私の文献は小説「幼年時代」の外に「作家の手記」「泥雀の歌」「弄獅子」「童笛を吹けども」等がある。それぞれ大部な枚数のあるものだが、まだ完全な自伝は容易に書き切れないと言つてよい。本篇はそれらの総括した作品の純粋なものであるが、作家という者はいくら書いても自伝だけは書き切れない程、材料があるものらしい、併し私は自分を書きあらわすことが最早沁々いやになった。自伝に出てくる継母に私が仕えなかったら、私は何一つ教えられ導かれなかったであろう程、私は多くの教えられなくてもよいものまで、無理に教えられたからである。一種の残酷な性格な真面目から展いて見せてくれた世界は、後年に小説というものを書くようになつた私に継母は或る時は鬼籍にいながらも、私を呼びつづけて呉れたからである。私は彼女にはじめて感謝の言葉を捧げたいくらいだ。
本篇は五部作の自伝中特にその骨格に於ても、注意して熱心にかき綴つた作品である。再びこれを世におくるのも、過去の作家にあったものの、これは怠け者の作家生活であって、本当の作家というものはもつと立派やかな生活をすべきではないかという疑いを有ったからである。
昭和二十四年春 犀星生第1部のうち「女中部屋」から「天命」までの六章は、『作家の手記』(昭和十三年九月、河出書房刊)に収録され「履歴書」から後半は、『泥雀の歌』(昭和十七年五月、実業之日本社刊)に含まれているものである。
『作家の手記』は全篇十七章から成り立っているが、各章毎に詩一篇から書き起されている。
『泥雀の歌』以後二十年を経て(五十四才から七十三才)、父は再び「私の履歴書」を最後の自叙伝として書いた(昭和三十六年十一月十三日から十二月七日まで、「日本経済新聞」に連載)。この作品は、肺癌の発病後、一回目の入院中、病院で僅かな時間を絞り合わせて執筆したものである。
戦争を挟んでの二十年という年月の積み重なりが、作品の流れの上にどのような変化が現われているかということも、気をつけて読むと興味のある問題であると思う。
(「あとがき/室生朝子」より)
目次
Ⅰ 自叙伝
- 女中部屋
- 町
- 盗みごころ
- 良い心
- 泳ぎ
- 天命
- 履歴書
- 冠
- 詩集「行く春」
- 追放人
- 海の乳
- 海の家
- 洋燈はくらいか明るいか
- 詩のゆくえ
- 活動写真館
- 原稿料
- ふるさと
- 「卓上噴水」
- 帰去来
- 父の死
- 愛の詩集
- 小説「幼年時代」
- 子供の死
- 震災前後
- 川べり
- 家を建てること
- 麦湯
- 哈爾浜の章
- 夕栄え
Ⅱ 私の履歴書
- 赤ん坊
- 幼年
- 神童
- 魚
- あひるのほね
- 神童出世
- 屑
- 執達吏
- 裁判所長官
- 新聞記者
- 上京
- 江南文三
- 風塵
- 萩原朔太郎。
- 下宿料
- 若山牧水
- 愛の詩集
- 処女作
- 原稿料
- 大人になれない大人
- 金沢へ
- 或る八年間
- 大戦前後
- 「杏っ子」
- 憑かれたひと
松の花粉 室生朝子
あとがき