1985年8月、銀河書房から刊行された山内清の詩集。刊行時の著者の住所は高石市。
この詩集の作品は、私のまちから急行電車で15分のところにあるKまちで、私が見たこと、体験したことを書いたものである。
Kまちで私の感受力のなかを通過したことを書くことで、私自身の生きていくことの意味を見つけようとしたものである。
しかし、そのことは誰もが分らない私の内部のまち、私自身の思いの内部に入っていたことにすぎなかったのだ。
そして、Kまちは本当にあったのか、私は本当にあったのかとたずねるために一冊の詩集にしてみたのだ。
電車線、K線、N線、T線の三線に囲繞地のようにとりかこまれた〇・六二平方キロに、労働者を中心とした約四万人が住むKまち、たえず飢えと気候と人間に<死の管理>をされているKまちの社会。
そこで私が見たものは、例えば、終戦直後に10才の私と、7才の弟を残して死んでいった父の姿である。私達にとっては、生存している父へより以上に情愛の湧いてくる人にせの父親である父の姿を見たのである。
それはまた、死ななくてもいい死を選んだ父にとって、つかの間の出会いだった私たちは<にせのこどもたち>でもあったのだ。
労働と酒に埋もれた日々、商人と光と犬たちがつくるにぎわい、ひとときの安堵を消していく雨と夜、殺人者がときにやり場のない叫びをあげるまち。
私にとっての詩は、四〇年近い以前に父の死体を見たときの寒い夏の飢えの朝からはじまっている。私の眼は、いまでもその時の朝を網膜に焼きつけたままにしか、世界と日々と人々とを見ることができないでいる。
その事に関して、自分や他人に「なぜ」と問いかけても何の返事もないから、十数年前からKまちを歩き、Kまちを見つめ多くの人と出会うことによって、10才の私があの時、恐怖の驚がくのなかで、世界中の人々に対して発っした「なぜ」という声に対しての答を見つけようとしたのだ。
しばらくはまちと訣別したいと思う。Kまちを書いたこの詩集が、私に何かを答えてくれるまでKまちと訣別したいと思う。
たばこ一本さえ私に要求しなかったKまちの人たち、酔えば親しい挨拶をしてきたKまちの人たち、日ざかりの露店の前で笑いあっていたKまちの人たち、酒で紛らす孤独のすえに汚泥のなかで眠りこけるまちの人たち、すべてがなによりも、ただ、なつかしい。
(「あとがき」より)
目次
- ゆれる家
- 水中のまち
- 駅裏で
- E生活館で
- じてん車犯罪
- でんき犯人
- <でんき犯人>のさいご
- 二匹の犬
- そら
- ちゃいろの星
- 罠
- 壁の男
- 象屋
- 耳
- <かんたん>
- パリス
- 水の地名
- 日だまりで
- 風の舌
- 夕ぐれの唄
- いない男
- 死人の声
- ゆめのまち
- 唄
あとがき