このブログについて

 

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bookface=本の顔=表紙=書影=装幀=装丁=装釘=装本=装画。所有している本や新たに購入した本の備忘録。新刊本よりも古書が多い。感想文を書くことがあるかもしれないが、基本的には表紙(裸本の場合は扉)と目次と書誌情報。第○詩集という記述には不正確なものもある。

遊覧列車 獅子文六

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 1936年1月、改造社から刊行された獅子文六(1893~1969)の随筆集。

 

目次

・讀物

  • 西洋變豪傅
  • 半處女物語
  • 半貴婦人物語
  • 牛肉屋・ドン・ジュアン
  • 血と泥濘の事件
  • フオリイ・ベルジヱール潜入記
  • 立見席の女
  • 諷刺小説
  • 久里岬土産
  • 金髪日本人
  • 巷に歌あらん
  • 四月の蕾

・コント

  • 櫻會館騒動記
  • コント・ノンキナアル
  • 仇打三鞭風呂
  • 羅馬の夜空
  • 人種・人種・人種
  • 座席を温めるな
  • 明治正月噺

・アフオリズム

  • 新女性アフオリズム

 

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音楽に就て 上林猷夫詩集

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 1942年2月、現代詩精神社から刊行された上林猷夫(1914~2001)の第1詩集。装幀は池田克己、題字は奈良孝次郎、写真は清水保。

 

 この詩集は私が詩作をはじめて以來六ヶ年間の作品を三十篇程收めた第一詩集である。混沌未明、顧みて忸怩たるものがあるが、ひとつひとつ詩を自己のものとするための營々たる實驗に外ならなかつたのであつて、今日敢て上梓する所以のものは、私の將來の成長への一つの否定的契機たらしめたい強い念願に基くものである。幸に大方諸賢の忌憚なき批判が與へらるゝならば、私の最も喜びとするところである。(「自序」より)

 

目次

自序

  • 秋深く
  • 無題
  • 出征の日
  • 音樂に就て
  • 南海物語
  • 友よ、このメロディを
  • 颱風の夜
  • 金安羅は唄ふ
  • 左手のために
  • 街の子供
  • 蟋蟀は何處にもないてゐる
  • 新世界記
  • 夏日風景
  • 一區域
  • 河は生きてゐる
  • 綴方教室
  • 土場
  • 濁流
  • 土堤
  • 闇の中の踊
  • 工事場近く
  • 通天閣
  • 阿部野橋附近
  • 大阪は夕燒
  • 道頓堀川
  • 蟇の歌
  • 新聞紙の花
  • 黒豚の歌
  • 歩く


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唐山の鳩 池田克己

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 1951年9月、日本未来派発行所から刊行された池田克己(1912~1953)の小説・詩集。写真撮影は坂井傳六。

 

 一九四八年から一九五〇年にわたる三年間に書いたものの中から、この本を作った。
「唐山の鳩」(百二十枚)と「重たい手」(百九十枚)の二つの小流は一九四九年に書き上げた。「二つの眼」はこの三年間に作られた三十六篇からなる詩集である。初めの「死の時代」が最も新しく、一、二の例外はあるが大體後のものほど古い作品である。この三年問に書いた詩は、尚十篇ほどある筈であるが、これは前に出した「法隆寺土塀」に後續する一連のものや、他の系列に屬する作品であるため、「二つの眼」の中に加えることは出来なかった。

 

目次

小説

  •  重たい手
  •  唐山の鳩

詩集 二つの眼

  •  死の時代 そのとき天窓の一隅に黒い太陽が懸っていた 失われた顔 闇の眼球 遠近 ふたたび血を吸った海綿體の太陽が昇る朝に 荒天の海邊にて 僕のひとりの海に 白い喪章 象嵌體 乾いた皮膚 胃袋の中の揚子江の雜魚 犯罪者 手の「時」 奇術 僕のS型の身體は 生活抒情 僕のひとり すれちがう物質のユピードの中で Double Exposure 精紳は僕と他の空間にいる臆病な物質だ 位置 二つの眼 千本の手 一日 皮膚の在所 どんより馬の眼に映っている風景 汚れた掌 量咸絶景 惡の行方 途上 命令者 二つの眼球の宿命について しめった惡のねがいごと 變事

 

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関連リンク

吉野出身の忘れられた詩人に光 奈良大図書館で「池田克己」展

明日への想い 小紋章子詩集

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 2006年2月に刊行された小紋章子の詩集。表紙は著者、挿画は針生夏樹、装幀は海老名淳。


目次

  • 明日への想い 一
  • 明日への想い 二
  • 明日への想い 三
  • 明日への想い 四
  • 明日への想い 五
  • 明日への想い 六
  • 明日への想い 七
  • 明日への想い 八
  • 明日への想い 九
  • 明日への想い 十
  • 明日への想い 十一
  • 明日への想い 十二
  • 明日への想い 十三
  • 明日への想い 十四
  • 明日への想い 十五
  • 明日への想い 十六
  • 明日への想い 十七
  • 狂気をもつものは 一
  • 狂気をもつものは 二
  • 狂気をもつものは 三
  • 狂気をもつものは 四


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書評等

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

船のない港 桂英澄

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 1962年2月、審美社から刊行された桂英澄の長編小説。装幀は姉の桂ユキ子。

 

 私はこの小説を京都の療養所で書いた。昭和二十七年のことだから、もう十年近く経ってしまった。私がやく三年を過したその小さな療養所は、苔寺にちかい山上の静謐な環境にあったが、当時そこに入っていた患者たちは、なんらかの意味で戦争犠牲者ばかりだった。私自身も、文字通り尾羽打ち枯らした状態でへたりこんだのである。
 終戦から発病までの四年間、私は大阪の三井ビルに事務所を持ち、ささやかな商事会社を経営して暮したが、その間に触れた中小企業の世界が、療養所の経験とダブって、病床の私にしきりによみがえってきた。世の中には、なんという恵まれない人たちが多いのだろう、という想いが、全く共通して、私の心を貫いた。
 約一年間の絶対安静の期間、ショパンとモジリアニの芸術が私の心をふるわせ、ユートピアの夢と地上の悲惨との奇妙な錯綜が、個室に寝たっきりの私の毎日の幻想だった。
 この小説には、私のそういう感慨と祈りが託してある。
 療養所での最後の年、体力はかなり恢復していたが、毎日少しずつ書き進め、半歳ほどかかって書きあげた。
 昭和二十七年の暮に上京したが、原稿はそのまま長くほってあった。この小説については、その後、今官一先生がたいへん心配して下さり、斯波四郎さんの雑誌「立像」に昭和三十二年以来連載した。
(「あとがき」より)


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琥珀の町 稲葉真弓

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 1991年2月、河出書房から刊行された稲葉真弓(1950~2014)の第2著作集。表題作は第104回芥川賞候補作。挿画は著者、装幀は菊地信義

 

 東京湾に近いが、決して新しいとは言えない街に住むようになって八年余……初めて埋立地や、湾岸の工場街にまぎれこんだときのひどく空虚な感じをしばしば思い出す。同時にそれらは、広い地平線のあるひなびた町で育った私にとって、どこか似通った懐かしく穏やかな風景でもあった。
 よく東京タワーに上った。都市の匂いや地の形、からんとした空の色などが、晴れた日も曇った日も私を呼ぶようで、暇さえあれば部屋を出て、都心を歩き、人気のない路地にまぎれこみ、果てはタワーの上からぼんやりと下の街の明かりを眺めたものだ。
 都市は、増殖しつづけるオブジェである。変容や浸食や消滅や再生をあらかじめ認知した生きたオブジェ……。私は私の目に見えた都市と、そこに視線を預けた人々を描くことで、この街にいる自分自身の感触をたしかめたかったのかもしれない。
 この本は二冊目の小説集になる。最初の本との間にはおよそ十年にわたるブランクがある。十年近く、思うように書けなかった日々のことを考えると、無様な自分ばかりを思い出すけれども、ただその間も、ひたすら街を歩き、いつか書けるかもしれない小説”のことを考え続けていたような気がする。

(「あとがき」より)

 

目次

  • バラの彷徨
  • 眠る船
  • 溶の行方
  • 火鉢を抱く
  • 琥珀の町

あとがき

 

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