このブログについて

 

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bookface=本の顔=表紙=書影=装幀=装丁=装釘=装本=装画。所有している本や新たに購入した本の備忘録。新刊本よりも墓石化している古書が多い。感想文を書くことがあるかもしれないが、基本的には表紙(裸本の場合は扉)と目次と書誌情報。第○詩集という記述には不正確なものもある。

本家ブログ「(いそがい・はじめの)杉並ファクトチェック」もよろしく。(2019.2.26)

杉並区に古本屋さんは何軒あるの?
杉並区に詩人は何人いるのか調べてみました
 

ヤフオクで全額募金のチャリティ・オークションを始めました。昨年、郵送料が変わったので試行錯誤すると思いますが、ご登録のほど、よろしくお願いします。お宝があるかもしれませんよ! 出品リスト→ https://auctions.yahoo.co.jp/seller/hisogai (2019.4.2)

 衣更着信詩集『孤独な泳ぎ手』と衣更着信訳『人生摘要 英米現代詩集』を国会図書館に寄贈しました。(2019.6.11)

 

上野をさまよって奥羽を透視する 飯島耕一詩集

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 1980年11月、集英社から刊行された飯島耕一(1930~2013)の詩集。

 

 ボードレールがパリを描いたように、エリオットがロンドンをうたったように、何とかわれらの都市、東京をテーマとする詩が書けないものか、というのは積年の思いであった。前詩集『宮古』を出したあと、ひょっとして書けるのではないか、という兆のようなものを感じた。宮古の離島では魔物のことを「まずむぬ」と言うが、この魔物が鉄とコンクリートの林たる東京にもひそみかくれているのではないか、という直観があった。朝に、そして夕暮れに、果てしない人の群れが、この都市の路上に行き交うのをあらためて眺めて(と言うよりも自分もその群衆の一人となって)、この群衆をどこかでひきつけている魔物の存在を思った。こうして一つのモチーフをつかんだわたしは、やがて「御茶の水の橋上に立って江漢を憶う」を書いた。
 東京の詩を書きはじめておよそ一年後に、わたしはたまたま駒井哲郎展を見に上野に行った。そこでわたしは帰途久しぶりに上野を歩きまわり、一つの長詩の構想を得た。それが「上野をさまよって奥羽を透視する」に結晶し、出発時の「新東京八景」の頃には予想もしなかった東京が把握できた気がした。東京は奥羽でもあり宮古でもあった。思えばわたしがはじめて萩原朔太郎富永太郎によびさまされて詩を書きはじめてから、三十年の月日が経った。朔太郎も東京の詩を書き、富永も東京の詩を書いた。彼らの詩の位相とわたしの詩の位相はどのように出会い、またすれ違っていることだろうか。ともかくこの一冊を、今日の未知の読者の前に、頭から尻尾までまるごと差し出すことにしようと思う。
(「あとがき」より)

 

 
目次

  • 新東京八景
  •  牛荻窪
  •  雉子祥寺
  •  戦死した青年たち
  •  四十九歳
  •  鋳物工場のにおい
  •  フェリー・ボート
  •  泥と腐敗
  •  皇居前
  •  明大前
  • 御茶の水の橋上にあって江漢を憶う
  • 広告のアメリカ女
  • 隅田川の四十分
  • 巡礼のような
  • 冬のうてき
  • ツァラトゥストラの秋
  • 六波羅密寺に詣でて
  • 降三世明王
  •  降三世明王
  •  降三世明王
  •  三重塔
  •  降三世明王
  •  かえしうた
  • 歩く
  • 井荻聖母前
  • 杉並区阿佐ヶ谷海岸
  • 上野をさまよって奥羽を透視する
  • 品川 大井の旅
  • ある個展から

あとがき


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ぼくのお城 布村浩一詩集

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 1995年7月、昧爽社から刊行された布村浩一の第2詩集。表紙は星野勝成。

 

目次

  • ぼくのお城
  • 横浜
  • お茶の水
  • 旅行
  • 折れた風
  • セミの日
  • 横浜
  • 雲のない空
  • 街の中心
  • 帰郷
  • 牛久の話
  • 蒸発する
  • 風の方向
  • 彼女は答えられない
  • 水路の歌
  • 説明
  • 坂道のキッス
  • 今を超えないように
  • 妖怪たちの物語
  • 大きな事

あとがき


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布村浩一詩集 布村浩一

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 1992年4月、私家版として刊行された布村浩一の第1詩集。表紙は鈴木秀人

 

目次

  • ギザギザの葉
  • 浮き船
  • そとの弦
  • 日のかすり
  • ふくらむ土
  • 昔の朝
  • 境界
  • 二つの ぼたん
  • 音楽
  • 帰郷
  • 浜辺
  • 愛と失愛がいっしょにやってきた
  • 割れた血
  • 休日の舗道
  • 風による逆襲
  • 七月の切り傷
  • 臓器
  • 夜がわからない
  • 神の子
  • あなたのように
  • トッパン・ムーア福生工場
  • 帰る場所
  • 国立の街角
  • 灰のこだわり
  • 木曜日
  • 窓のなか
  • 崖の町


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詩が、追いこされていく  山本哲也

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 1996年11月、西日本新聞社から刊行された山本哲也(1937~2008)の評論集。装幀は毛利一枝。

 

 一九八六年十月のはじめ頃、わたしは鮎川信夫の詩集やら詩論集を読んでいた。日本近代文学会の九州大会で「戦中から戦後へ――個の変容とその諸相」というシンポジュウムが十一月に予定されていて、パネラーの一人として「鮎川信夫」について発表することになっていたからである。鮎川信夫の死は、十月十七日である。シンポジュウムの当日は底冷えのする寒い日で、長崎郊外の、会場となった大学の階段教室のいちばん下でわたしは震えあがっていた。他のパネラーの発表した武田泰淳梅崎春生の作品と交差させて、「戦後文学」の変容へと話が絞られていったとき、奇妙な暗合に気づいたのである。そうか、鮎川信夫の『宿恋行』は、「幻化」だったのか。
 梅崎春生の『幻化』(一九六五年)が梅崎の最後の小説であり、『宿恋行』(一九七八年)が鮎川の生前最後の詩集だから、というのではない。戦後文学や戦後詩といわれるものが、戦争―戦後体験の意識の総体に依拠するものであるとするなら、この、ふたつの作品は、戦後体験を幻として空無化する場所で書かれていたからである。鮎川信夫の詩集『宿恋行』は、その意味で、みずからの死よりも前に、戦後詩の終焉をはらんでいたのである。
 『幻化』の主人公である五郎は、二十年前にたしかにそこにあったものを索めて、坊津の町にやってくる。家がぽつぽつと見え始めたと思うと、その屋根のかなたに海が時がが見え、空に数百羽の鴉が飛び交いながら鳴いている。「冥府。町に足を踏み入れながら、ふっとそんな言葉が浮かんできた」。二十年間もちこたえてきた幽霊じみた生の時間が、そこでは冥府という一語に象徴されるような幻化した場所にしか、その生の根底をもちえなかったことが示されている。

 白い月のえまい淋しく
 すすきの穂が遠くからおいでおいでと手招く
 吹きさらしの露の寝ざめの空耳か
 どこからか砧を打つ音がかすかに聞えてくる
 わたしを呼んでいるにちがいないのだが
 どうしてもその主の姿を尋ねあてることができない
 さまよい疲れて歩いた道の幾千里
 五十年の記憶は闇また闇。

 詩集『宿恋行』で、エピグラム風に置かれた全八行である。これを、ひそかに「戦後詩以後」の準備された詩だというのは、むろん憶断にすぎないが、小説「幻化」において現実の世界が、ゆっくりと反転し、幻化した場所が浮上したように、これは「戦後詩以後」の時間、「戦後詩以後」の場所でつぶやかれた深い吐息のように聞える。『宿恋行』よりも数年前の、自伝的な短篇集『厭世』にあった「想像化された記憶」という仮構性は、もはやここにはない。「記憶」は「闇また闇」なのである。そのかわり、ここにあるのは、「わたしを呼んでいる」声、幻聴である。

「今朝眼が覚めた時、また声にならない声を聞いた。幻聴とまでは行かないが、それに近かった。化けおおせたことが、そんなに嬉しいのか?」(『幻化』)

 「吹きさらしの露の寝ざめの空耳か
  どこからか砧を打つ音がかすかに聞えてくる
  わたしを呼んでいるにちがいないのだが」 (『宿恋行』)

 両者に共通しているのは、戦後文学の理念や戦後詩的規範などいっさいを無効にしてしまうような何かである。その「何か」をどういったらいいのだろう。「わたし」が世界を把握しようというのではない。むこうがわにあるものが、「わたし」を呼んでいる。「わたし」にささやきかけるのである。『幻化』のむこうがわが「冥府」なら、おそらく、『宿恋行』のそれは、戦争体験も戦後体験もつきぬけたむこうがわ、五十年の記憶の底の闇のなかにある「幼年」であろう。
『宿恋行』という詩集の数カ所には「幼年」が埋めこまれている。だが、それは埋めこまれたままで仮構されることはなかった。仮構されているのは、先取りされた「死」である。「必敗者」という詩のなかの「私」は、気がつかないうちに死にたくなっていて、恋人と会ってはどの毒がいいかと話しあったりしている。「私」がたまたま雑誌で読んだシュワルツの短編では、コーネリアスという無名の詩人が登場するが、ここでは「私」とシュワルツとコーネリアスは、「必敗者」の像として重ねられている。

 自殺もせず狂気にも陥らずに
 われわれのコーネリアスはどこまで歩いていけるだろう

 確かにあったものが失われ、いっさいが空無化された場所に、「どこ」という目的地などあるわけがなかった。「幻化」の五郎は、阿蘇の火口壁の頂きを歩いている男を望遠鏡でのぞきながら、まるで自分を見ているような錯覚に陥って思わず叫ぶ。「しっかり歩け。元気を出して歩け!」。この一行の声を反響させて、わたしは「必敗者」を読んでいたのである。わたしたちのコーネリアスはどこまで歩いていけるだろう。しっかり歩け、元気を出して歩け、と。
(「はじめに」より)

 

目次

  • はじめに
  • 夢みる力
  • 現在感覚と永遠感覚
  • 詩人の死
  • 詩への回路
  • 詩の現在
  • 詩が、追いこされていく
  • もう太宰治のように書くわけにはいかない
  • 詩への疑念
  • 過渡を生きるように
  • おぼえがき

人名索引
書名索引

 

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ライフ・ダガス伝道 広瀬大志詩集

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 2020年3月、書肆妖気から刊行された広瀬大志(1960~)の詩集。カバーは高橋加代子。

 

 二つの詩集が同時に生まれました。二つは別々のシリーズとして五年ほど前のほぼ同じ時期に書き始めたものです。『ライフ』は現実に生きる人たちの時間を彼らになり代わって綴った物語『ダガス伝道』は現実に存在しない遠い未来の時間を言葉で探るための物語です。
 そして全く異なった二つの詩集は、一つの時間の中で一冊の書物として結ばれ、結ばれることの意味を持ち、現実に存在することとなりました。詩とは未知の時間を象る力のこと。それがこの書物の謎のすべてです。
 出版にあたり上毛印刷株式会社の佐藤幹夫様、利根章浩様、そしてカバーの絵を描いていただいた美術家の高橋加代子様に心より感謝申し上げます。
二〇二〇年三月二三日 広瀬大志


・ライフ 目次

  • 五月の弱い幕間と強い陽射し
  • 線ができる
  • 松恋
  • エレベーター
  • 黒松心中
  • 手の目
  • その後の仁義なきササラモサラ
  • ふみきり
  • 狙いうち
  • ライフ

・ダガス伝道 目次

  • 第一部 ドルメン・カレルレン
  • 第二部 神曲


広瀬大志(Twitter)