1982年2月、集英社から刊行された日野啓三の長編小説。装画は落田洋子、装幀は菊地信義。第10回泉鏡花賞受賞作品。
人間はどんな形をしているか。頭があり手脚があり白い腹の真中にヘソがあり……というのは、他人から見た外形にすぎない。自分自身が内側から、なま温く、ほの暗く、なつかしく、おぞましく感じている自分という奇態なものは、決してそんな形ではない。
大地、空、樹、海、星、風、虫などの万象を含めた自然を、どういう布置と仕組でイメージするか、その形を、最も広い意味で、宇宙のなかの私の形とするなら、狭い意味で、日常のなかの私の形を示すものが、家だ。
家庭ではなく、端的に家屋の形である。
二年前から千代田区に住んでいる。少し近くを歩くと、古い屋敷が陰々と庭木を茂らせて残っている。戦前の幼時のころ、やはりこの近くにいたことがあって、その遠い記憶もある。父の郷里の田舎には、洋館ではないが、古い家が朽ちかけている。
そんな家のたたずまいが、あやしく私の深い部分を活性化する。私の心はたかぶり戦慄する。それを書いた。この作品の家は、私が内感する私の形である。その屋敷の中に入ることは、私の心の奥に分け入ることだった。
恐らくその中に蹲っていた少女は、私自身の病める魂であろう。それを救い出そうと試みたが、文学における救いとは、精神医学的ないし社会心理的な治癒ではなく、隕石が大気層で燃えつきながら発するあの流星の光だと、途中で気づいた。
(「あとがき」より)
目次
- 第一章 洋館
- 第二章 少女
- 第三章 白夜
- 第四章 洪水
あとがき