幼ない記憶 徳永直

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 1942年8月、桃蹊書房から刊行された徳永直(1899~1959)の短編集。装幀は荒城巌。

 

 偉大なる大東亞戰爭が進行してをり、わが皇軍は海のかなたで日夜戰つてゐる。これはまさに世界史的な聖職である。
 そういかさなか、大東亞戰爭勃發以前に書いた諸作品を一冊の本に纏めるには、作者自身いろいろと反省さるべきこと、検討さるべきことを作品のうちに感じられないではなかつた。そういふ意味ではこの一冊もいくらか過渡的な匆々とした面影をとどめてゐるであらうと思ふ。
 しかし私自身としては、つねに庶民生活の健全な明るい面に憧憬をもち、それを描きだすことで、より益々人間のはたらく尊さと、庶民生活の溢れる健康さ快活さを、強化し向上する一助とるならばとねがつてゐる。そしてけつして充分ではないまでにも、尠くもその何分かくらいは、この作品自體が讀者諸君に物語つてくれると信じてゐる。
 ここにをさめた九篇のうちで、「幼ない記憶」「三人」「惡い夢」の三篇は、小説ではあるが、ほとんど誇張してゐない自傳である。「幼ない記憶」の中の出来事はすべて事実であるが、これは明治末期、いまを去る三十餘年前のことであることを考慮にいれていただきたい。昔の小工場では技術向上に對する少年の憧がれをこんな風に妨げる空氣があつた。改善された今日の工場からみれば隔世の感があると思ふ。この作は昨年六月「はたらく歷史」と題して發表したものであるが、今日讀みかへしてみて、甚だ舊體制的なものの作者自身にもあることを感じ、大改作をし、題名をも變へた。「三人」は向上心の乏しかつた當時の人々を諷刺し、「惡い夢」は庶民のまつとうな勤労心を描いたつもりである。
 「豆戰士のレポート」「青い風」「妹よ」「結婚記」「男の中で」「イネちゃん」等は、作者と經驗的にも無關係ではないが、自傳といつたるのと比べれば、それぞれの角度から自からの距離を保つてゐる。いづれが真に小說道であるか、それは讀者の批判にまつよりほか私にもわからない。
 しかしつまり、おしなべて庶民生活がもつまつとうな明るさ、健康さといつたものを作者がおひもとめてゐるといふことだけは讀者にる理解していただけるかと思ふ。もちろん作者の才能がそれをどれ位に成し遂げてあるかといふことは自信をもてないにしてる。
 作者はもつと訓練に訓練をくはえて、讀者と共に、真に新時代の作家たりたいと希つてゐる。そしてもつともつと澤山、庶民生活における男女愛情の問題や、親と子の情愛の問題や、はたらくことのたのしさについてや、さまざまのニュアンスを描いて讀者に酬ひねばならぬと思つてゐるのである。そしてそれが大東亞戰爭下における作家の奉公の道であると考へてゐる。
(「まへがき」より)

 

 

目次

まへがき

  • 幼ない記憶
  • 青い風
  • イネちやん
  • 惡い夢
  • 結婚記
  • 妹よ
  • 男の中で
  • 三人
  • 豆戰士のレポート


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