1987年11月、創言社から刊行された丸山豊(1915~1989)の従軍記。
戦記『月白の道』初版本の上梓は十七年前である。絶版のまま打ち過ぎたが、今日に至るもしばしば再版への問合せがある。北ビルマや中国雲南の戦場にかかわりをもつ御遺族が、いかに数多いかという証左である。版をおこすのは生きのこった私の義務。ながい間の絶版をおわびしなければならない。じつは『月白の道』以後の、私たちの敗退ぶりを多少なりと書きとめて、それを再版本に添えたいという心づもりがあって、今日まで復刊が遅延した。この夏ようやく小文を草して『南の細道』と題し、あわせて一冊にまとめた。初版の折りの、畏友安西均のありがたい序文と内野秀美画伯がえがいた肖像は、今回もそのまま頂載した。
戦場には、ついに最後までその真相がわからずじまいという問題が多い。生きのこった私たちが、表現しても表現しても、沈黙の空間は海のように深く暗い。永遠の秘密として、歴史のひだにたたみこまれてしまうだろう。『月白の道』の場合、私のペンではたどり着けぬことがいっぱいあるが、それよりも戦争のうらにあるからくりに頸をかしげたいことが少くない。たとえば、水上閣下にとどいた「貴官を軍神と称し二階級上進」の電報にせよ、公刊戦史には打電の事実はない。あの電報の発信者はまぼろしの人ということになる。電報内容を承知しているのが私だけなら、誤聞として否定されてもやむをえないが、閣下とおなじ壕にいた執行少佐にせよ、暗号係の将校であった二宮大尉にせよ、電文を確認しているのである。
戦争については、書けぬことと書かぬこととがある。書けぬこととは戦場にてじぶんの守備範囲を越えた問題であり、同時にじぶんの執筆能力の限界である。書かぬことは倫理的な判断による。それをどこまでも追いつめるのが勇気であるか、化石になるまで忍耐するのが勇気であるか、私は簡単に答えることができない。
(「『月白の道』復刊の序」より)
目次
復刊の序
初版の序 丸山さんの倫理 安西均
・月白の道
- 虫歯
- 雲南の門
- 石の小道
- 野菊
- 奈落
- 卵と泥
- 桃源
- 秋のながめ
- 徳の素描
- 雲南日和
- 高士と隠士
- 酔いのいましめ
- 夜のふかさ
- 死ぬべき町
- 茅の病舎
- 地下へ
- 壕のくらし
- 欠乏づくし
- 夏草
- 筏
- ふたたび徳の素描
- 死守すべし
- いなかの味
- 糸車
- 低い声
- 軍神
- 安死術
- 幻は
- 幽霊たちの旅
- 彼岸
- 林間細雨
- 抗命
- 冷酷
- 暗夜
- 紺の便衣
- 肉声
- 沼にて
- 尾根を行く
- 月をおそれて
- 崖の上
- 煙
- わかれ道
- 死の意味
- 竹の国
- 挿話ふたつ
- 軍律
- 影について
- 嘆きの森
- 悪寒
- むすびの章
・南の細道
初版のあとがき
再版『月白の道』のあとがき
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