歳時記の村 稲垣真藻詩集

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 1983年2月、近代文藝社から刊行された稲垣真藻(1932~)の第3詩集。栞は北村太郎「稲垣真藻くんのこと」、馬場あき子「風景と思想」。著者は東京生まれ、刊行時の住所は目黒区。

 

 いちまいの暗射地図を拡げてみる。そこにあるのは朧げながら或るリズムの起伏や、情緒の等高線といったものである。僕はそこに幻想の川や、予定の森、ときには実在の地名を書き込んでみる。その橋をとおるときに立ち現われるであろう地霊への挨拶や、僕自身の反応といったものを計測する。
 コンクリートに塗り固められ、地下の水脈さえずたずたに断ち切られた都市東京にとって、風土のやわらぎなど望むべきもない。いや、観光資本と結びついた贋の文化や、はてしなく開発される技術の先端に灯る文明など倦き倦きだ。東京生れの東京育ち、いやでもそこを故郷とさだめた僕が想像力上の出発をしたのもおそらく、そのためだ。どこかで普遍と重なる「村」の存在を信じて書き継いできた努力が空しいものになるかどうか、僕は知らない。
 だが、日常的に起きつつある文化の衝突、それに伴なう受苦のほうにまだしもちいさな真実があり、詩の契機があろうというものだ。なかば意図的に使用したこれらの言葉が、いま、ふるい言葉の残滓を含んだものにすぎないのか、あるいは異化された詩的言語として強靱なものになってゆくのか、これらの詩篇を書き継ぐ過程で、たしか僕は生体実験的な興味さえ覚えた筈だ。いつかはつけなければならない結末を、とりあえずこんな形でつけてみると、「いま」と「ここ」という狭い現実のなかから、人間というものはそれ程遠くへ逃れてゆくことはできないものだなといったことに、ある種の感慨を禁じ得ない。
(「あとがき」より) 

 
目次

  • 布施弁天桜山
  • 冬の道
  • 椀と芹粥
  • 歳時記の村
  • 涙を ください
  • 奥武蔵子ノ権現
  • 小貝川に沿って
  • 隅田川新川通
  • 港のほうへ
  • 床屋のある三景
  • 稚児ガ渕に立って
  • 館山北条海岸
  • 観音崎
  • 犬吠
  • 暮れる筑波
  • たむけるものたち
  • 柴又初秋
  • 鬼の子の子守歌
  • 逃げた虎の数え唄
  • 青髯の休日
  • 万華鏡を壊した日
  • Oへの挽歌

あとがき

 

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