2010年7月、思潮社から刊行された金井雄二(1959~)の第5詩集。装画は矢野静明「放蕩息子の帰還」。
言葉が痩せていくのを感じていた。深みもなく、骨もない。ぼくの本当の言葉はどこに行ってしまったのか? 詩を書き始めてから以来、無駄な言葉を削り、短く的確な言葉を使う作業ばかり続けてきた。悪かったとは思わないが、それによってぼくの詩から何かが失われてしまったのではないかと思うようになった。このままではいけない、と感じた。
言葉を自由に放出し、あふれる言葉の渦に巻き込まれたい。詩の文字の中で、もっと自分を見つめなおそう。ささやかだが、確実なる欲望があった。それはいいかげんに書き飛ばすことでもなく、おびただしい数の単語をならべるだけのことでもない。いつしかぼくは自分の過去に遡り、書かなければならない記憶に遭遇した。書き始めてみると、少年時代の自分に再会していたのだ。ぼくは自分の少年時代を、もう一度、詩のなかで生きることができた。これは衝撃だった。書けば書くほど、書かなくてはならないことが生まれてきた。書くたびにぼくは自分の過去に戻ることができ、実際書きながら涙したものもある。
この詩集は、ぼくの五冊目になる。詩を書き始めた頃、五冊もの詩集を持つことなど想像できなかった。今回は特に個人的な想いが自分自身の形の中に納まり、文字がギュッと詰まった。かなり読みづらいと思う。だがゆっくりと読んでほしい。その中から、人間としての、普遍的な想いを感じていただけたらうれしい。題名にもなった「ゆっくりとわたし」という詩は、小林勇氏の「夕焼け」という名エッセイに感動して書かれたものである。
(「あとがき」より)
目次
- 走るのだ、ぼくの三船敏郎が
- どこへ行こうとしているのだ
- 出会いの物語
- 校庭
- ひとつのしろいぼーる
- 蜜柑
- レールの響き
- 熊がいる!
- 東京タワー
- 闇が訪れるまえのほんのちょ っとした時間
- 指先の感触
- 芝生の想い
- 足袋とUFO
- 火はまるで、水のように
- ゴム長靴の挑戦
- 茅萱(ちがや)
- レンズ山
- 鳥籠
- 鳥屋のアキラ君
- 父のこめかみめ
- 昔、ぼくの家でおこな われていた月に一度の機械修復作業について
- ダンダンモダンな床屋さん
- そして茄子も
- 月の光が射しているのに
- 妹が泣いて います
- 淵野辺
- 窓
- さがみがわの川辺で
- 放蕩息子
- 巡り巡って血がさわぐ
- 足音が響く
- 瓶
- ゆっくりとわたし
あとがき