2017年8月、私家版として刊行された村野美優の第5詩集。装画は内木場映子、装幀は相沢育男。
二〇一四年から二〇一六年の間に同人誌などに発表した作品に未発表作品を加えて詩集を編んでみた。わたしの第五番目の詩集にあたる。
十代の終りから詩のようなものを書きはじめ、今年で五十歳になった。いまだに書いている。書きたいという気持ちが衰えないかぎりは書き続けていくのだろう。
詩集を編むとは一体どういうことなのだろう。作品がある一定量たまると、そろそろまとめてみよう、という気になる。これは習慣であり、惰性でもある。もう少しましな言い方をすれば、自分が生きてきた証を残したいという欲望の表われだろうか。いずれにせよ、わたし個人的には、それは食欲や睡眠欲などに次ぐ、生きる欲望のひとつに数えられるものかもしれない。
では、自分にとって詩とは何か。手近な本を開いてみると、「詩とは何かという問いかけに答えることのできるのは、現実の詩作品だけ(谷川俊太郎『ことばを中心に』)とある。その通りと頷きつつも、あえて野暮を承知で次のように言ってみたい。わたしにとって詩とはすなわち「ラブレターである」と。写真家が作品の対象を自分の外に求めるように、わたしの詩の対象も常に自分の外部にあり、わたしの心はそれを求め、讃美し、できることなら美しく表現したいと欲している。
ところで、この詩集のタイトルにも「手紙」という言葉が入っている。この詩は「むくげ」の木の白い花を太陽への「手紙(ラブレター)」に見立てたものであるが、それと同時に、「むくげ」の木へのわたしからの讃歌でもある。この詩にかぎらず、本詩集のほとんどの詩が、ある対象への讃歌あるいはレクイエムになっていると、わたしには思われる。
(「あとがき」より)
目次
- 朝の礼拝
- まぶしいな
- 黄色い花
- むくげの手紙
- うさぎの姉妹
- ひかりのしゃぼん
- うさぎの丘
- 小さな歌
- 繊維
- 編みもの
- 箸の仕事
- 雀蜂の惑星
- 玄関で
- にぎやかな埋葬
- アパートの木
- 廃屋のルフラン
- むこうの線路
- 春へ
- 誕生日
- レコード
- 坂
- 伴走者
- 根岸線
- クルミパン
- 雨の感覚(サンサシオン)
- たまのきよ
- 貝塚
あとがき