小魚の心 真杉静枝

f:id:bookface:20170918213517j:plain

 1938(昭和13)年12月、竹村書房から刊行された真杉静枝(1901~1955)の第1著作。序文は坂口安吾(1906~1955)、跋文は岡田禎子(1902~1990)。

 

 私は眞杉さんとお友達になつてこのかた、眞杉靜枝といふ特殊な性格を意識することが殆んどなかつた。さうして名前を沒した、女そのものの性格(むしろ心情)を見てゐる思ひがするのであつた。
 平安朝の物語の中の女達。彼女達も各々の名前はあるのであるが、各々の特殊な性格はないのである。彼女達は身も世もあらぬ戀に泣き、ときに靜かな無情をさとり、また四たび五たび、昔に變らぬ身も世もあらぬ戀に苦しむ。ただ女そのものの心情の世界が、生き、愛し、歎いてゐる。
 眞杉さんの文章にも、殆んど特殊な性格はなく、古い物語の女達の、あの心情の世界のみが、ひたむきに語られてゐる。
 私はこの謙遜な日本の夫人が、愼み深く能を語り、繪を語り、古典の物語を語り、また音樂や芝居に就いて語るのをきくたびに、この心情の教養の正しい深さに驚くのだつた。この人にとつては、それらの教養が知識でもなく、衣裝でもない。古い物語の女達の類ひ稀な教養が、思想の形で現れずに、あげて心情の聲となり、あるひは三十一文字の歎き悲しむ花の言葉となつたやうに、眞杉さんの教養も、ただ心情の糧となつて、形を沒するにすぎないのだつた。この人に、かくて生きてゐるものは、かうして育つた心情の姿があるのみなのである。思想とか知性といふものを、思想や知性の原形で、この人のうちに求めることは間違ひであらう。
 眞杉さんの小説は、この純粹な心情が、過酷な現世に突き當つて、事々に戸まどひながら、生きぬけて行く記録であるが、戸まどひながらとにかく切りぬけて行くたびに、讀者は自らの安堵を感じ、生きることの切ない喜びに共々ひたらずにゐられまい。

昭和十三年十二月十五日 坂口安吾

 

目次

  • 南海の記憶
  • 父の心
  • ある作家の死
  • 土蔵の二階
  • 南方の墓

跋文 岡田禎子

 

書評等

よりみち

 

NDLで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索

牡丹亭雑記 獅子文六

f:id:bookface:20170918120911j:plain

 1940年1月、白水社から刊行された獅子文六(1893~1969)の随筆集。著者自装。


目次

  • 牡丹亭雜記 
  • 由來 
  • 和洋小噺 
  • 一日三枚の辯 
  • 番外 
  • シューポン拾遺 
  • 早稻田とタイガース 
  • 片貝 
  • 悲觀公子 
  • F君 
  • トンカツ談義 
  • ラブレー遂に譯さる 
  • 小さん 
  • 球場內外 
  • モデルの經驗 
  • 惣菜洋食瑣談 
  • 鹽汁 
  • 京料理事始 
  • 河豚の腸 
  • 巴里の喫茶店 
  • 夏の宵 
  • 國產洋酒 
  • 異人觀能圖 
  • 初日の先生 
  • 二人のテニス選手 
  • 映畫の「沙羅乙女」 
  • 水銀事件 
  • 或る日の多摩川見物 
  • 棧敷の追想 
  • 葛飾花見 
  • 歳晩雜記 
  • 性風俗時評 
  • 蟹 
  • 奇夢 
  • アルコール無き酒 
  • 愛國行進曲 
  • ユーモア小說懺悔 
  • 友田恭助君のこと 
  • 宇野四郞君のこと 
  • 日本家屋 
  • 本 
  • Foujita
  • ノーエルの記憶 
  • 話 
  • シューポンの奴 
  • 續「シューポンの奴」 
  • 魚喰ひ 
  • 女と蜘蛛とダイヤモンドの話 
  • 文士の子 
  • 禁令謳歌 
  • 朝鮮と僕 
  • 町內の宰相 
  • 外苑抄 
  • 二度目の巴里の話 
  • 三田山上の秋月 
  • 理窟 
  • 諧謔文學瑣談 
  • ユーモア文學管見 
  • ユーモア小說と探偵小說 
  • 文學のいろ[イロ] 
  • 映畫に現れたユーモア 
  • 映畫雜感 
  • 諷刺映畫小論 
  • 笑と諷刺


NDLで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索

青空の仲間 獅子文六

f:id:bookface:20170918120358j:plain

 1955年7月、新潮社から刊行された獅子文六(1893~1969)の短編小説集。装幀は野島青玆(1915~1971)。

 

目次

  • 青空の仲間
  • 文六神曲
  • モモタロウ
  • 日本敗れざりし頃
  • 見物女中
  • 横須賀物語

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索

青春怪談 獅子文六

f:id:bookface:20170917223809j:plain

 1954年12月、新潮社から刊行された獅子文六(1893~1969)の長編小説。装幀は馬淵聖(1920~1994)。読売新聞連載小説。

 

書評等

居眠り狂志郎の遅読の薦め
佐藤いぬこのブログ
知鳥楽


NDLで検索する
Amazonで検索する
日本の古本屋で検索する
ヤフオクで検索する

 

娘と私 獅子文六

f:id:bookface:20170917222842j:plainf:id:bookface:20170917222856j:plain

 1966年12月、東方社から刊行された獅子文六(1893~1969)の自伝小説。装幀は御正伸(1914~1981)。元版は1956~1956年主婦の友社版。

 

 私は、それまで、フィクションばかり書いてきた。これは職業に対する私の考えから出てることで、今後も、それを続けていくだろうが、この「娘と私」だけは、まったく例外だった。この作品は、私の身辺に起きたことを、そのまま書いた。つまり、私小説であるが、それは、私の文学に対する考えが、変ったというよりも、むしろ、偶然な動機からだった。
 十数年前に、私の前妻が死んだが、その時に、「主婦の友」その他から、妻を喪った感想を書くことを、求められた。しかし、私の気持は、それどころではなかった。
「一周忌でもきたら、書く気になるかも知れませんが……」
 私はそういって、依頼を断った。
 そして、一周忌がきた頃に、私の気持も、やっと、一段落した。そして、どうせ書くなら、感想という形式よりも、長編として、妻と私の歴史を、顧みて見ようという気になった。そして、それを「主婦の友」に書く気になった。
 それにしても、亡妻のことを書くのに、「娘と私」という題名は、おかしいと思う人もあるだろうが、私にとっては、亡妻は、娘と切り離せない存在なのである。その理由は、この作品を読んで下さる人に、了解されると思う。
 この作品は、昭和二十八年の新年号から、三十一年の五月号まで、「主婦の友」に連載された。私の作品としても、長いものになった。一家の私事に過ぎないことを、辛乏して長々と読んでくれた読者に対し、今でも感謝している。

昭和四十一年秋、赤坂双六亭にて  獅子文六

 

書評等

メタ坊のブロマガ
知鳥楽


NDLで検索する
Amazonで検索する
日本の古本屋で検索する
ヤフオクで検索する

 

べつの鍵 獅子文六

f:id:bookface:20170917220834j:plainf:id:bookface:20170917220844j:plainf:id:bookface:20170917220853j:plain

 1961年7月、中央公論社から刊行された獅子文六(1893~1969)の短編小説集。装幀は谷内六郎(1921~1981)。

 

目次

  • べつの鍵
  • おちんちん
  • 二階の女
  • ケツネ滅びたり
  • 何か寂しい男
  • 狐よりも賢し


NDLで検索する
Amazonで検索する
日本の古本屋で検索する
ヤフオクで検索する