1972年6月、紀伊國屋書店から刊行された深尾須磨子(1888~1974)の詩集。装幀は花森安治。(奥付の生年は1893)
目次
・列島おんなのうたⅠ
- 列島おんなのうた
- 初冬のたより
- 玉ねぎ幻想
- ボスボラスは星合の夜だった
- 霧の館
・間奏曲 (INTERMEZZO)
- 激動期を共に
- 十三階段をのぼりつめた女
- 晶子の春
・列島おんなのうたⅡ
- めぐりあい
- 遺跡パリ
- 港のうた
- 山帰来
あとがき
書評等
花森安治の装釘世界
1993年11月、花神社から刊行された木川陽子(1929~)の第2詩集。第44回H氏賞候補作品。
せめて自分のことくらいはわかっていたいと思いました。
私が目覚めると素早く身を翻して去ってしまう夢の、わずかな痕跡を手がかりに、その全貌をもういちど引き寄せようと試みました。けれども朝の光のなかで、私の手に辛うじて残っているのはたいていの場合、蜥蜴のそれのようにちぎれやすい夢の尻尾だけなのです。ですから私の試みが成功したと思えることはいくらもありません。
私の何処からかやってきたのだとは認めがたいほど醜いものも、紙の上で書いたり消したりしていると、知らず知らずその醜さをぼかしたり、愛らしく滑稽なものにさえ変っているのでした。が、不思議なことに、そういう夢もいちど紙の上に解き放つともう二度と姿をみせることはなくなるのでした。夢も変貌したがっているのかもしれません。この手仕事ともいえる作業を重ねているうち、いつかすっかり健康になった自分に出会うだろうと思いこむようになりました。そうなったらどうするか、それはそのとき考えるつもりでした。
しかし月日が過ぎたいま、他の人にむかってだけでなく、自分自身にさえ「誰?」といいそうになっている私がいます。
(「あとがき」より)
目次
1984年1月、視点社から刊行された草野信子(1949~)の第1詩集。装画は立原あゆみ。第13回壺井繁治賞受賞作品。
表現するということは残酷な一面を持っています。衝撃力のない批い私の詩でもへ言ってしまったということだけでい つも誰かを傷つけてきました。それなのに なお、私は書くことによって屈託を捨て、その時々の 自分を支えるというわがままを繰り返してきました。
今回まとめるにあたってもいくつもの無 理を通してきました。無理することで乗り越えたい何かが、捨てたい自分があったからです。
(「あとがき」より)
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あとがき
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2017年2月、幻戯書房から刊行された椿實(1925~2002)の未発表中短編集。
目次
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅴ
附編
三十五年目の拾遺 椿紅子
初出一覧
関連リンク
椿實の書架
幻戯書房からまさかの椿實作品集が……『メーゾン・ベルビウの猫』(空犬通信)
椿實氏について(クニちゃんの我楽多堂)
『メーゾン・ベルビウの猫』 椿實著 評・土方正志(出版社「荒蝦夷」代表)