1984年3月、編集工房ノアから刊行された志樹逸馬(1917~1959)の遺稿詩集。編集は小澤貞雄と長尾文雄。附録栞は「ハンセン病理解のために」。
志樹逸馬さんの遺稿のことが話題になったのは一九七九年の好善社理事会のことであった。これまでに、原田憲雄・原田禹雄両氏の編集された『志樹逸馬詩集』(一九五〇年・方向社)が出版されていたが、すでに絶版となり、私たちの手に入らないものとなっていた。
永年、ハンセン病(癩)を病む人々とかかわりをもつ私たちとして、志樹さんの詩をもう一度、多くの人たちに紹介できないものかと願った。復刻版とも思ったが、治代夫人の手許に、未整理の原稿やノートがのこされているとの話を聞いた。治代夫人の望みもあると聞かされたので、好善社として、新たに編集をして出版をすることとなった。
遺稿から詩作品としての原稿の整理を小澤が、詩集として出版に至るまでの作業を長尾が担当し、編集作業は二人の責任でおこなった。
早速、治代夫人の許から、遺稿が送り届けられ、眼を通してみるとかなりの分量であった。癩園という隔離された場で、病気や差別、偏見などに、二重、三重に苦しめられ、けれども人間であることをひたむきに追求し、神との対話にまで、凝集するような魂の息吹きが、独得な透明感を帯びて訴えかけてくるものを感じた。
今回、とり上げた五十七編は遺稿のなかの一部である。作品としてまだまとまらず志樹さんが手を入れて形を整えたいと思っておられたと思うものや、日記や、随想の中にも詩想豊かな断片が見受けられたが、残念ながら多くを収録することはできなかった。
私たちは生前の志樹さんと面識がないので、志樹さんのプロフィールは療友であった島村静雨氏のご協力をあおいだ。
また、既刊の『志樹逸馬詩集』の編者であられる原田憲雄、原田禹雄両氏には同詩集からの転載をご承諾いただいた。三人の方々にここで感謝の意を表わしたい。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 春
- 水仙
- 畑を耕つ
- 五月
- 芍薬(一)
- 洗濯
- 芍薬(二)
- ひかり
- 雨の降る日
- 露(一)
- 露(二)
- 夜光虫
- 菊の花
- 紅葉
- 落葉
- 青空
- 秋の水
- 夕焼け
- 夕映え
- 秋の畑
- 冬の海
- みかん
- 凍土
- 種子
- 切株
- ことしは庭に
Ⅱ
- 肉体と心
- 癩者
- (二十八年間)
- (苦しい時には)
- (俺だけが)
- 闘病記
- (人に遇えば)
- (わたしは近頃)
- 痴呆の如く
- ハンセン氏病者のねがい
- (病に)
- 園長さん
- とりあえず
- (私は)
- わたし
- 生
- (大空を仰ぐとき)
- (苦しみを踏み台として)
- 曲った手で
- まよっても
- 神
- 神さまわたしを
- すべて神様に
- 教会への道
- (私は神に祈る)
志横適馬その人と詩 島村静雨
あとがき
関連リンク
永遠のことば――志樹逸馬の詩的世界(ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ)
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