1970年10月、地帯社から復刻された坂本遼(1904~1970)の詩集。元版は1927年9月、表紙口絵は淺野孟府、銅鑼社発行。
私がこれらの原稿を書いてしまつたら朝の四時になつてゐた。くにの母は默つて目をさましてランプに火を燈けてゐるであらう。さうして小さい光圓(ひかり)を見つめてゐるにちがひない。朝がけになって歸つてゆく蚤を誘き集めて殺すのが母のたのしみになつゐたのであるから。集つてくる集つてくる一匹一匹をあはてておさえるしはのよつたひとさし指と親指が今私は見えるやうです。氣狂のやうな眼つきや蚤をピチと噛み漬す音を思つて、今たへられないやうな氣持がしてゐます、一人で夜はこはいと母はよくいうてゐたが、外はもう朝の光がきてゐるであらう。母は元氣で田へ出てゆくにちがひない。私はしばらく眠らう。
(去年の夏二十八日)二十前頃からの詩であるが。あまり氣にいつたのがないので。この間も少し燒いたのです。詩も少ない。
そんな譯で此の頃はさびしいです。
蟲眼鏡の中から脹れ出てきた風景のやうな詩はもういやになつた。草野は支那の大學にゐた時分から私を鞭ち限りなく愛してくれた。草野がゐなかつたら。今まで詩を作つてゐるやうなことはなかったかも知れない。原理とは苦しいときに往き來してまじめにくらしてきた。草野にしても原理にしても涙なしには憶ひ出せない記憶である。
私や妹が小さいとき。道ばたや畔などに小便をしてゐると、祖父はいつも便所へつれて行つた。その時分は、たつたそれ量(だけ)の小便が肥にもなるまいし。と思うてゐたが。今になつてみると、ああさうであつたかなあと思ふ。
よその庭の花は赤い。
輕い明るい言葉だけに、それだけに、おららはさびしい。
この可憐なあきらめの言葉はおららの腹の底から出てゐた。さうしておららは笑うてゐた。道徳的生活は悲劇的である
涙をためて後ろをふりかえる
温順しいものの謀反であるみなよ! 腹をださう
さあ 向ふ側の人人よ おららの『どてっぱら』が蹴られるものなら蹴つてみい!鋲!
鋲!
鋲!詩集『たんぽぽ』畢
(「自序/坂本遼」より)
目次
序 草野心平
時雨
たんぽぽ
春
- 日向
- たんぽぽ
- おかん腹をおさえておくれ
- 春
- 食ふものがないので
十燭
- だまつてゐる心と心
- 十月五日
- お鶴の死と俺
- やいたをたてる母子
- 町の女の人はおらの心をひく
春
- 四月二十五日
- 春
- おら切なかつた
- 戀人
- 持病
- 秋
- 二十二才の秋
- かいつぶり
- 時雨
- からす
厩
- 厩
- 牛
鋲
- 花びらが散りかかる
- 桃の花
- 悲劇
跋 原理充雄
自序 坂本遼