白樺の森 白樺同人

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 1918年3月、新潮社から刊行された白樺同人のアンソロジー。装幀はバーナード・リーチ。画像は函欠本。

 

 自分達は泰西の名畫に憧がれている。自分達の崇拝する天才の作品に接したい慾望に燃えてゐる。しかし自分達は自分達に金も力もないことも知つてゐるので、誰か日本人が自分達の崇拝する、見たく思つてゐる、藝術品を買つてくれるといいと思つてゐた。
 しかしたゞさう思つてゐるだけでは切りがなく、又他人をたよる愚かさを知つた。出來たら自分達自身で、見たい見たいと思つてゐる藝術品の本物を買へたら買はう、買ふやうに骨折れるだけ骨折つて見やうと思つて來た。かくて自分達は去年白樺の十一月號で白樺美術館を建てたく思つてゐることを發表し、そして一般の人の助力を請ふことにした。多くの人はその企を喜んでくれた。そして自分達を鼓舞してくれた。そしてこの企のいつか成就する曉のくることを自分達はかたく信じることが出來た。同時に、少しでも早く、少しでも多くの金を集めて、日本では見られない、真に自分達が崇拝する天才の藝術品を買へるやうにしたい氣が強くなつた。この氣がこの本を出すことにさしたのだ。
 始め自分は志賀や柳を訪ねやうと手賀沼のふちを歩きながら、ふと何か自分達の力で美術館の爲に金をつくるいゝ方法はないかと思つた。色々考へて見たがいゝ考は浮ばなかつた。少しあきらめ気味になつて居た。そしてもう一町程で柳の處にゆける處まで來た時、ふとこの本を出すことを思ひついた。之ならまちがひがなく三百圓は入る、本屋さへ承知してくればと思つた。皆は美術館の為なら承知するにきまつてゐると思つた。
 柳の處へ行つたら志賀がゐた。それでこの本を出す話をしたら二人は賛成した。その後柳が上京した時、この企を長與と小泉にした、二人は賛成した。その後長與が我孫子に來た時、新潮社に話して見やうと云つた。
 長與は新潮社の中根氏に來てもらつてその話をして快諾を得た。その知らせがあつてまもなく、中根氏が志賀への用を兼ねて志賀の處に來た。その時小泉も偶然に來た。そして志賀の處で同人四人と中根氏と相談して大體の方針をきめた。そして有島兄弟三人と、正親町と、木下と、兒島と、園池にこの本を出す企を相談かたがた報告して皆の快諾を得た。正親町は今文學をやめてゐるので少し恐縮してゐたが、たのんで出してもらうことにした、選擇は志賀がした。それから郡のものは英國にゐて聞く暇がないので無断で、おこられたらあやまることにして出すことにした。出さないのはなほ不自然な氣がするので。それから以上の同人だけでは十三人になるので、氣にする人がゐるので千家に助力をたのんで快諾を得た。
 かくて出來たのがこの本だ。この本の印税は全部白樺美術館に寄附する。
 この本は以上の理由で出来た。しかし出来て見れば同時に「白樺」の今迄の記念にもなる。頁數の都合で皆一番自信のある作をのせるわけにはゆかないが、しかし頁數の許す都合で、(その他著書の都合も加はつてゐるが)なるべく自信のあるものを出したわけだ。この本だけで價値をきめられるのは恐縮だが、白樺と云ふもゝの特色をうかべることは出來ると思ふ。自分達は皆のものを一冊に集めることが出来たのを嬉しく思つてゐる。
 装幀はリーチがしてくれた。
 新潮社が快諾してくれたことを感謝する。
 白樺美術館の運のよきことを祈る。
 挿畫は白樺美術館の現在もつてゐる、ロダンのブロンズ(青銅)三つ、「ロダン夫人」「或る小さき影」「巴里ゴロツキの首」。ヂヨーンのデツサン「女の背像。」及びラムのデツサンである。デツサン二枚はリーチの寄附でゐる。
 まだ美術館の會場はまるできまらない。最初は先づセザンヌ、ゴオホの油畫を買へたら買ひたいと思つてゐる。
(「序文のかはり/武者小路実篤」) 

 


目次

  • 小さき者へ・潮霧 有島武郎
  • フヰリップの插話 有島生馬
  • 白昼 木下利玄
  • 友達の話から 小泉鉄
  • 絵画の二要素と対象性 児島喜久雄
  • タマルの死・鉄輪 郡虎彦
  • ゴオホの二面-感想・ある画家と村長-脚本 武者小路実篤
  • 小さき幸福 長与善郎
  • 沼津小品四つ 正親町公和
  • 或る年の初夏に 里見弴
  • 詩七篇 千家元麿
  • 網走まで・小品五つ 志賀直哉
  • 清一の手紙・ある時期・赴任 園池公致
  • 哲学的至上要求としての実在 柳宗悦


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