馬渕美意子詩集

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 1952年11月、創元社から刊行された馬渕美意子の第1詩集。

 美意子さんに初めて會つたのは私の麻布十番での屋臺のやきとり屋時代だから、もう二十年近くになる。その頃彼女は油をやってみて二科に出してた。新宿に屋臺を移してからは庫田と毎晩のやうに現はれてゐたが、詩を書いてゐることは全く知らなかった。或ひはその頃はまだ書いてゐなかつたのかもしれない。只たしかなことは繪から詩に漸次移行していったことだ。
 ノヴァの二階でだつた。私ははつきり憶えてゐる。初めて彼女の詩をみたのは。この詩集にもはいってある初期のものだが、見て私は驚いた。こんな最初からの完成があるものだらうかと。彼女は變なところはなほしてくれといったが、なほしたい箇所はどこにもなかった。私はウンもスンもなく歴程にはいってもらふことにし、た。誰にも相談せずにその場で。
 美意子さんは外に出てからもいささか不安らしく、本當でせうかといふ意味のことを言った。私は本當ですと答へた。彼女は武藏野館前の人混みのなかで有難う御座いますと丁寧にお辭儀をした。私は變な氣がした。こんな新風をもって突如現はれたことに、こつちが有難うといひたい氣持ちだつたから。詩はもともと新風をもつて現はれなければ物の數にははいらない。けれどもこの新風といふ難物は努力だけではつくれないし、素質だけでもつくれない、精力のいる仕事である。時間に抵抗してゆけば古典になる代物が新風の作品なのだから並大抵のことではない。
 では馬淵美意子の新風とは……。
 ギリシヤと東洋とを混淆さしてこのやうに昇華さした詩人を、私は殆んど知らない。これでもう私は先づ第一に滿足する。
 言葉の美に関する新鮮な感覺。色彩への正しい解釋と布置。音への敏感。それらを綜合しての女性としては全く珍しい智慧のある構成。
 永い期間の割合には彼女の作品の量は、すくない。けれどもそれらは變化ある技術によつて光りあふれ鳴つてゐる。
 寡作の理由は病弱と凝視によると私はみてゐる。また詩そのものに對する正直な對坐にもよる。
 彼女は先づ對照を凝視しその對照を解體する。例へば一つの花にみ入って彼女の眼はその花びらをバラバラにする。バラバラになった花びらはそのうちに元の位置にもどる。それから彼女の構成ははじまる。一つの花を宇宙の中に置いて。
 兎角女性の詩の多くは感覺と感情とによりかかってある作品が多いが、彼女はそれに智慧と思想とを怒張ってゐる。これも珍しい。 日本の、それも私などと同時代の女性から、このやうに本格で新鮮な本が生れでることに對し、實際私は無量な感を以て拍手したい。
(「跋/草野心平」より)

 

目次

  • 牛のひとみの海のなかに
  • 海ねこの群
  • まっくろな空虚をみたして澄む
  • 牡丹の花びら貝
  • 海の裳
  • 山のみづうみ
  • 散りしいた花びらの上に
  • 秋海棠
  • 二月のしづく
  • ひがん花
  • 山の網膜
  • たいざんぼく(あさ)
  • たいざんぼく(よる)
  • みぞれのさざんか
  • あふちのはな
  • いたどりの芽
  • つまぐろうんか
  • きりぎりす挽歌
  • しら鷺
  • 一尾の仔はぜ
  • 萩のうた
  • おはぐろとんぼ
  • はつなつののべ
  • りんだう
  • 三日月
  • ありあけの月
  • 荒唐無稽譜
  • 受胎する觀念
  • あさがほに
  • 返事(蓮)
  • 夕がほ
  • 時間の花びら
  • 海を彈く濱晝顏
  • 運命(春蘭のはな)
  • あさがほ
  • 植物の目はそら豆の花に盡きるのではあるまいか
  • 金木犀
  • 龍舌蘭の春の芽

跋 草野心平
後記


関連リンク
庫田叕

 

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