1990年6月、書肆山田から刊行された梶原しげよ(1920~2015)の第10詩集。装幀は青山杳。
二十九年も住んでいた家を出て、おそらく終のすみかとなるであろう他郷への転居は、これまでの生涯のなかでもあまり数多くない大きな体験の一つであった。とはいっても一人の人間のそれなどは、第三者から見ればなんとなく見過ごされてしまうような、淡い雲程度のものなのかも知れない。
しかし、当事者にとってはやはり強烈な光であり、はげしい痛みでもある。病弱をカバーするために、二年も前からはじまった小山のような「物」との再会、そして別れ、さらには家との別れの心境を拙いことばにしてみた。いつも波立って、あるときはさみしく傷ついて、そんななかからも亀裂だらけの体験が、地平線のいくばくかのひろがりをもたらしてくれた。ほのかながら慰めや救いとなったことをありがたく思っている。「こころの旅」は、健康時には到底考えられなかった異常な状況が書かせた作品ということになろうか。もちろん、目前の花を訪れたり、池の水面に佇んだりすることも小さなこころの旅で、決して珍しくはないのだが、無意識裡に行なってきたことと、最近のようにどこか醒めている意識のなかでの行為とでは、あきらかに相違のあることは認めなければならないだろう。
やまいの錘をつけられて、つばさの萎えた重い肉体とはうらはらに、こころだけは日ごとに軽やかになってゆき、夜となく昼となく、未知の場所へあるいは既知の場所へと飛び立ちたがる。それでも、このようなだれにも知られないひとり旅や自由奔放なふしぎな旅にも、いつかは必らずおわりがやってくるのだ。そのこともよくわかってはいるつもりなのだが、何とか最期の瞬間まで旅がつづけられたら!と、夕やけの空にむかってひたすら祈りたいようなこのごろである。
(「あとがき」より)
目次
- 再会
- 捨てる
- 家
- こころの旅
- 挽歌
- 転身
- 自殺
- 栄光と誇り
- 軽いひと
- 一輪の花さえ
- 大地
- 無の花
- 落下
- 思いあぐねて
- 旅
- 水
- 表札
- 寄り道
- 不幸
- 「生」へ
- けむり
- 「その日」
- ひとりになると
- 地下
- 切符
- ホコリ
- 羨望
- 「時」とともに
- かぜ
- 鏡
- 時計