1983年8月、梨花書房から刊行された香山末子(1922~1996)の第1詩集。カットは武田幸経。らい文学選書。
この度、高原詩話会の選者の村松武司さんの御すすめにより、香山末子さんが還歴を機に詩集を出版することになった。
香山さんは昭和十九年にハンセン病をわずらい、二十年十二月八日当園に入院し今日に及んでいるので、入所期間のほうが健康に生活した時期より長くなってしまっ
ハンセン病はらい菌を病原菌とする慢性伝染病であるが、病像は菌に対する宿主の抵抗性の強弱によりらい腫型と類結核型の両極型とその中間の境界群などがある。香山さんは不幸にもらい腫型に罹患してしまった。当時は特効薬もなく栄養も衛生環境も貧困であったので、病状は進行する一方であったであろう。
昭和二四年より療養所でも特効薬であるスルフォン系治らい薬が一般に使えるようになり、ハンセン病は不治ではなく可治の疾患となった。香山さんも現在菌陰性となっているが後遺症として失明や手指の変形、運動知覚麻痺などを残している。
失明の上、肢体障害のあることは日常生活を著しく不自由にするものであり、その上に香山さんは韓国人であるので風俗習慣の違う日本の療養所での療養生活はさぞ辛いものであったろう。
またお子さんを園附属の双葉保育所にあずけての入院生活であり、親らしい面倒もみてやれず、しかもそのお子さんは保育所を出てからは音信不通とあっては、胸中に鬱屈した想いが溜るばかりであったろう。
故郷や家族や失った身体への想いを吐き出すことにより彼女の苦悩を軽減させようと指導したものは、内科勤務の高野桑子医師であった。先生は既に御退職になったが香山さんの胸中のもやもやしたものが昇化し、特異な感覚の詩に結晶していることにきっと満足されることであろう。
香山さんにとっては異国語である日本語による作詩は推敲なども手がかかったことと思われるが、代筆代読の労をとった職員各位にも感謝する。
終りに長年月にわたり当園文芸部高原詩話会の御指導と今回の詩集発刊につき種々御尽力下さいました村松さんに御礼申上げます。
(「序/国立療養所栗生楽泉園長 小林茂信」より)
目次
序 小林茂信
・手さぐり
- 何か
- くちづけ
- 手さぐり
- 故鄉韓国
- 私が二十三歳だったとき
- うれしい便り
- 高野桑子先生
- 高野桑子先生へ
- 思いだしてみると
- 花
- ふきのとうと梅の花
- 詩友 竹村昇さん
- くも子ちゃんの出産
- 私は食いしん坊
- 私は忘れる
- 朝焼け
- また浮ぶ嫌な言葉
- 朝湯
- 梅の花
- 汐風
・落葉が走る
- 望鄉
- トンソの音は遠い
- 母の面影
- 夢の中の子供
- 小さな希望
- やっとできた詩
- ながい旅の息子
- 別れのあと
- 落葉が走る
- 地獄谷を降りると
- 昔の正門
- 煙突の印象
- 下駄
- 唐辛子のある風景
- 麦踏
- 赤い漬物
- 買物の話
- わたしの聖歌
- 空に坐って
- 忘れていた韓国
・水のない大きな川を
- 青空の涯へ
- コスモス
- タンポポ
- 白梅
- 風と柳の木
- 旅のこころ
- 嫌な箱
- つつじ公園で
- お母さんの言葉
- 足音
- わたしの指と眼
- 硝子戸と冬
- 氷の玉
- 腐骨切除
- 小鳥の声に
- 小遣いの使い方
- 過ぎた日
あとがき 香山末子
著者略歴