1985年11月、花神社から刊行された水沼靖夫(1941~1985)の遺稿詩集。装幀は十川雅典。
この小詩集は本来『少年の日』というタイトルによって出版される筈であった。死の前年、水沼靖夫は、二十篇ほどの「少年の日」詩稿を私に預けた。私さえその気になれば詩集『少年の日』は彼の生前に出版されていたわけである。私の僅かなためらいがこの詩集の刊行を遅らせてしまった。
「少年の日」詩稿は、私が預ってから後一年の間にも、かなり推敲加筆され、いくつかの詩誌に改めて発表された。これらの詩稿の約半数は、彼の初期詩集(私家版・百部限定)二冊の中に、すでにその原型が姿を見せており、その後数回にわたり書き直されている。彼は書き直すごとに、それを発表し、さらに書き直していた様子である。よほど愛着の深い詩篇だったのであろう。
今回、この詩集『水夫』を編むにあたり、一応預けられた『少年の日』は解体し、編集しなおした。預った後に、推敲、発表されたものはほとんどの場合、後のものを採った。『少年の日』に含まれていない作品で、明らかに同系列のものとして詩誌に発表された「土」「病院」「蛇」「兎」「魚2」を改めて加えた。
彼の綿密に詩を記した十数冊のノートの中から未発表の作品四篇をさらに加えた。「雨」「魚4」は同系列のものとして、扉詩と絶筆は彼の生涯の記念のために敢えてここに載せることにした。絶筆は今年にはいってから、構想していた「燃焼」連作の最後の一連から採った。この一連は未完成であることが明らかだが、六月三日の日付があり、ノートはここで途切れる。
詩集のタイトルは、この年彼が熱意をこめて創刊した個人誌「水夫」を、そのまま用いることにした。本の形、表紙画、レイアウトも同じである。詩集であると共に「水夫」終刊号の意味も含めて送り出したい。
彼の早すぎる死を悼み、彼を愛した人びとと共に、この詩集を編み終えた。几帳面に過ぎる彼は、私の杜撰な仕事を、向う側の世界で、はらはらしながら見ていることだろう。しかし今はこれで許してもらおう。この後、彼の詩の優れた読者が現れ、よりよい詩集を編む日がやってくるように、希うばかりである。
(『水夫』覚書/小柳玲子)より
目次
- 声
- 土
- 街
- 家1
- 村
- 夏
- 蝉
- 館
- 朝
- 雨
- 雪
- 川
- 兎
- 蛇
- 夜
- 家2
- 部屋
- 病院
- 魚1
- 魚2
- 魚3
- 魚4
覚書 小柳玲子