2015年10月、悠書館から刊行された島朝夫(1920~2011)の遺稿集。装画は掛井五郎、装幀は戸坂晴子。
父、島崎通夫が亡くなってから四年の月日がながれました。
生涯、父の精神を貫いていたものは「コレスポンダンス」(交感)だったのではないかという気がします。それは、生前出版した七冊の詩集の中から聞こえてくる主調音のようにも思え、敬愛していた詩人や芸術家たちへの共感と応答として、書きためていた文章からも響いてきます。父はいつか、ひとつの本に纏めたいという願いを果たせぬまま他界しました。
独り暮らしの父の陋居をしばしば訪ねてくださっていた樋口淳氏に、おそらくその思いを漏らしていたのだと思います。氏が遺稿集の出版を熱心に勧めてくださり、率先して奔走してくださったおかげでこのたびの出版に漕ぎつけることができました。
詩人であると共に、キリスト者であり、教育者、科学者でもあった父の書き残した文章は多岐に亘っていました。そのため一冊の本に纏めるのは頭を悩ます作業でした。初期に同人誌に掲載された小説や一連の詩論を一章に、公私に亘って交流のあった詩人、芸術家の方々の作品評を二章に、雑感やエッセイを三章に、ライフワークとなった「シャルル・ペギー論」を四章に収めました。
父の生き方や思想を決定づけたのは、フランスの詩人シャルル・ペギーであったと思います。悲惨な状況に置かれている人々の痛みに向けられるペギーの「コンパッション」という言葉に出逢い、その深淵な意味を問い続け、格闘していたようです。「シャルル・ペギーの作品と思想」は死の半年前まで、同人誌「六分儀」に連載しており、最終回は力およばず未完に終わってしまいました。心残りであったはずです。けれど臨終の父の微笑を思い出すたび、力尽きたというより、力を尽くし果たした人の安堵にも似た至福を享受していたように思えるのです。
(「あとがき」より)
目次
第一章 初期作品と詩論
- 小説 黄昏れる午前
- 象徴詩派と詩的現実
- ヴァレリイ小論 その夢と現実を回って
- テレーズの微笑
- 金子光晴「作品論」
- 西脇順三郎文学の地平 Ambarvalia 旅人の出発
- 覇王のみち ―山本太郎小論
- 加藤楸邨句業管見
- 楸邨俳句の"観念性"
第二章 作品論・交友録
- 憂愁そして幽囚 牧章造小論
- 「一角獣」の視線 西垣脩論
- 忍と美と 『西垣脩詩集』を読む
- 西垣さんの死を悼む
- 遠い?『遠い教会』 安西均詩集を読む
- 「柵」から「海へ」 立川英明小論
- 「決められた以外のせりふ」 芥川比呂志著
- "大正"の旗また一つ
- 成熟するマリア像 村上博子詩集『冬のマリア」を読む
- 村上博子詩集『雛は佇む』跋
- 前川緑『麥穂』の世界
- 佐美雄氏のこと
- 大和の"原時空" 佐美雄氏の闘いを想う
- 掛井五郎 その Commedia Divina
- 詩写真集『火の果て』出版にあたって
- 夏目利政「暗黒の自画像」
- 馬越陽子さんの芸術
- 遠藤周作と「エスプリ」をめぐって 島崎通夫宛書簡について
- 松平修文歌集『夢死』
- 詩歌を書く人 比留間一成の詩業
- 詩人の魂しい 嵯峨信之『小詩無辺』に寄せて
- 高橋渡『野の歌』 熟成する〈コレスポンダンス〉
- 糸屋建吉『此方』を読む
- 佐藤正子詩集『人間関係』
- 「ここ」を「ここ」と呼べるには 池井昌樹詩集『晴夜』
- 馬場晴世詩集 『ひまわり畑にわけ入って』を読む
- 梶原しげよ詩集 『旅立ち』をめぐって
- 旅と人間 安田礼子著『アフガン/ガンダーラ』跋
- 『ピノッキオの冒険』について 前之園先生へ
第三章 小品
- 生活と言葉と詩と
- 神を演ずる
- パンと言葉
- 社会の高齢化
- コヘレトの言葉
- 詩と信仰 八木重吉の詩
- 加賀乙彦氏のキリスト教思想
- 我が詩・我が神
- マリア論(未完)
- 罪人なる我等のために
- 我等逐謫(ちくたく)の身なるエワの子なれば
- 第四章 シャルル・ペギー論
- エゴイズムの聖化
- ペギーの巡礼
- シャルル・ペギイの「マリア」
- シャルル・ペギーの作品と思想Ⅰ~Ⅸ(六分儀誌連載)
終章 短歌作品
- オマージュ 島朝夫詩集に寄せて
- 『佝僂の微笑』を読んで 柴田元男
- 『遠い拍手』黙しとうた 平井照敏
- 抒情の故郷 村上博子
- 詩集"遠い拍手"に 堀口太平
- 島朝夫詩集『遠い拍手』 川田靖子
- 透明な水晶像 伊藤桂一
- 『供物」キリスト教精神と言語的超越 中村不二夫
プロフィール
あとがき