森荘已池氏に初めてお目にかかったのは、もう三十年あまり昔、一九七一年のことだった。
『校本宮沢賢治全集』刊行のための全面的遺稿調査が始るに当たって、花巻の宮沢家で、編纂委員の一人として種々お力添えを頂くことになる森氏に紹介された。
中学生(旧制)でありながら、早熟な詩才を発揮し、十歳ばかり年長の賢治をして「あなたを尊敬します」と言わしめ、以後、生涯の詩友として親交を深めたのがこの方か、と私は、畏敬と好奇心の相半ばする気持で、この先達に対したのだった。
当時の森氏は還暦を過ぎたばかりのお歳であったが、いかにも若々しく、皺もなく、肌はつやつやとしていて、四十台の末か五十台の始め位にしかどうしても見えなかった。優しさの溢れた眼差しは、活発に動いて、内に秘められた精神の若さ鋭さを如実に示していた。
それ以前から、書物や雑誌掲載の論考で、森氏の賢治研究において果たされた大きな役割のことは存じ上げていたものの、その詩人としてのお仕事を具体的に知ったのは、賢治作品と共に『貌』『天才人』等の同人詩誌に載っている作品を目にしたのが始りだった。しかし、森氏の詩を一括して読んでみるという機会はついに持てないまま、今日まで来てしまった。
このたび、その詩業のほとんどが集成されて書物になるに当たって、その校正刷りを披見させていただいた。そして、一篇一篇で感嘆を久しうした。森氏の詩は時期によりさまざまな(ときには前衛的な)形式が果敢に採用されているが、そこに一貫しているのは、人間社会の現実への鋭い凝視と批判である。その批判を、あからさまに打ち付けるのではなく、独特の底深いユーモアで包み、包むことで却って一そう辛辣な風刺として是出する所に、その本領はあった。
また、その一方で、これも特筆すべきことだが、森氏の作風には、人間社会にしっかりと足を踏みしめながら、けっして俗に染まらない《気品》《高貴さ》が、常につきまとっている。これは、先にも書いた精神の若々しさとも不可分の事態だと思う。
今度のこの出版が、作品の書かれてからの歳月を苦もなく飛び越えて、現在および後世への貴重な贈物となることを、私は確信し、心の底から喜んでいる。
(「森荘已池氏の詩業―――跋文に代えて/入沢康夫」より)
目次
自伝の序詞
山村食料記録
・『校友会雑誌』
- 色彩美学
- 蟬
- 春秋諸相
・『貌』
- 悲惨の蝸牛
- 悲痛の美学
- 馬追ひ
- 鮎と美学
- 水・雲・葦
- 水辺の葦
- 葦・鮎・月華
- 夏
- 鮎と月光
- 天・葦・水
- 美学の変貌
- 鳩
- 鳩
- 鳩
- 鳩
- 鮎と蛍
- 松葉と蛍
- 蛍の光
- 蛍と割烹着
- 蚊帳と蛍
・『北日本詩人』
- 虹を製造する
- 夏――秋
- 秋初―夜―月光
- 風の子よ
- 負傷したひとりへ
- 群団へ
・『銅鑼』
- 青漂
- 第十三時に踊る
- 新古典派病む
- 枯れる
- ガ死ににたもの
- 空洞
- かびの生えた枕
- 酒
- きんちやく
- 長屋
- 争闘
・『金蝙蝠』
- マニラの煙草
- 瞳
- 叩きつけよ
- 死馬生馬
- 牛とよばれる
- 天馬
- 町に来た牛
- 百姓と小市民
- 太陽と土と水
- かすり
- 荷車
- 芹と土工と小市民
- 土工とどぜう
- 百姓とどぜう
- 色彩美学
- 或物語
- 極致
- 憂鬱
- 家鴨
・『天才人』
- 石川善助
- 生ト死ト風景
- 詩ト骨ト文学
- 夢ト生物ト芸術
- 詩ト吹雪ト道徳
解説と解題(略
歴) 森三紗
跋文に代えて 入沢康夫
関連リンク
森荘已池(Wikipedia