1994年6月、日本地域社会研究所から刊行された佐藤竜一(1958~)による黄瀛(こうえい・1906~2005)の評伝。装幀は松永るみ子。
目次
プロローグ
第一章 詩壇の寵児
- 最初の挫折
- 日本の中国侵入
- 詩人の誕生
- 草野心平との出会い
- 詩壇の登竜門を突破
- 萩原朔太郎の評価
- 青島を去り、東京へ
- 『銅鑼』の創刊
- 高村光太郎と「黄滅の首」
- 宮沢賢治が『銅鑼』へ参加
- 詩を通して結ばれた「共同体」
第二章 蒋介石の下へ
- 大正デモクラシーと文化学院の創立
- 自由な教育方針の下で
- 新たな都市文化の成立
- 碧桃荘での日々
- 恋と友情の日々
- 充実した講師陣
- 奥野信太郎との交遊
- 新居格との交遊
- 文化学院を中退し、陸軍士官学校へ
- 蒋介石へのあこがれ
第三章 宮沢賢治を訪ねて
- 『銅鑼」の詩人たち
- 森荘已池の登場
- サトーハチロー、安藤一郎との交遊
- 小野十三郎の回想
- 「銅鑼」、「日本詩人」の終刊
- 菊岡久利との交遊
- 横光利一との出会い
- 「学校」の創刊
- 井伏鱒二、木山捷平との交遊
- 木山捷平の回想
- 実らない恋
- 中国の詩人を日本に紹介
- 士官学校にて
- 中国へのまなざし
- 宮沢賢治を訪ねて
第四章 日中戦争のはざまで
- 中野の電信隊に配属
- 日本を去り、南京へ
- 奥野信太郎との再会
- 日中交流の拠点であった内山書店
- 魯迅との最初の出会い
- 書帳が物語る黄瀛と魯迅との交遊
- 魯迅からすすめられた『聊斎志異』の翻訳
- 魯迅との永遠の別れ
- 田坂乾の上海行き
- 第二詩集『瑞枝』の刊行
- 高村光太郎の序文、木下杢太郎の序詩
- 木下杢太郎宛の手紙
- 奥野信太郎宛の手紙
- 日本との訣別
- 亀井文夫の検挙
- 黄瀛が死んだといううわさ
第五章 幻の詩人
第六章 半世紀ぶりの日本
- 文化大革命の終焉
- 開放政策の下で
- 日本語教育に専念
- 石川一成の帰国
- 『瑞枝』の復刊
- 半世紀ぶりの来日
- 山の上ホテル、文化学院での歓迎会
- 石川一成、宮川寅雄の死
- 文化学院同窓会誌「おだまき草」に寄せて
- 黄瀛の半生を全国でテレビ放映
エピローグ
黄瀛略年譜
主要参考文献
あとがき
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