1994年5月、東京文芸館から刊行された諫川正臣(1930~)の第3詩集。著者は西条市生まれ、刊行時の住所は館山市。
幸いにも二十歳の時に処女詩集『美しい繭』を刊行することが出来、次いで二十五歳で第二詩集『春の仏』を出した時には、今後も五年おきに出したいものと思っていたのに、諸般の事情で今日まで延び延びになってしまった。したがって本詩集の作品は、二十六歳から現在までの三十八年間の作品選んだものである。
作品は必ずしも年代順にはなっていないが、大体において若い頃のものから最近のものへと編集してある。また、今回作品を選ぶに当たって若干の手直しをしたものも多く、『黒豹』誌上その他に発表したものとは違ってきている。その点からいえば掲載した全作品は、ただ単に過去から現在への作品の羅列ではなく、現時点での私によって濾過されたものと言える。
わが師、尼崎安四氏は「ごく普通の生活をする中でいるのでないと本物とは言えない」とよく言われた。人とは変わった生活をして、変わった体験の中から変わった詩を書いても、精神の次元は低いということだと解釈している。いい詩が作れず苦しむ事も多いが、詩を書くことはこれまでの人生の支えとなってきた。キルケゴールの言うように、自己がたえず自己自身にかかわることが実存としての人間の本来的な在り方だと考えるとき、詩を書くことは常に自己を振り返り、新しい自己を創り出すことにほかならないからである。
詩作品は、いうなれば作者の精神の結晶体である。精神つまり自己を創るのは自由な自己自身の選択によるものであっても、私にとって多くの人々との出会いを抜きにしての自己形成は考えられない。今日まで詩を続けられ、本詩集を出版できるのも偏に皆様方との永いおつき合いの賜物であり、感謝の気持でいっぱいである。この場を借りて、多くの皆様方に心からお礼申しあげたい。
詩の価値は、何度も繰り返して読みたくなる作品であるかどうかで決まるものと私は思っている。この詩集を読んでいただいて、一篇でも二篇でも心にとどまる作品があり、いつの日かまた読み返していただけるようなら、作者としてこの上ない喜びである。
(「あとがき」より)
目次
- 稚魚拾遺
- 砂山
- 新しい棚帯
- 稚魚
- 冬魚Ⅱ
- 雪が降る
- 海淵
- 干潟
- 夜光虫Ⅱ
- 葦
- 枯葦Ⅰ
- 枯葦Ⅱ
- 睡蓮
- 額紫陽花
- 白い花の季節に
- 美しい指
- ひつじ雲
- 渡り鳥
- ねぎ
- 雨季
- めくらぐも
- 雪渓
- ダム
- 土場風景
- 山の祭り
- アゲハチョウ
- 雲
- ポプラ
- ポプラの風
- 夏の顔
- 少年期Ⅰ
- 少年期Ⅱ
- 少年期Ⅲ
- あの頃
- あの日の記憶
- 五年目の夏
- あの頃のこと
- コスモスの花
- 霞草によせて
- クラス対抗リレー
- 草原
- 怪我
- 無霜地帯
- 構えず
- 裸身
- 霞草
- 詩人
- 楓の花
- 遠い道
- 月明かりの道
- 若葉の道
- 夕凪の町
- 蝉しぐれ
- 行く秋
- 青い海
- 姿
あとがき
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