1976年10月、アポロン社から刊行された加藤忠哉の第1詩集。
加藤忠哉君は、私たちが昔、『零度』という同人誌を出していた当時の仲間の一人です。その頃、加藤君は早稲田大学の学生でした。『零度』に、加藤君が参加したのは、たぶん七号からでしょう。モダニズム風のモザイクのような詩の印象でした。昭和二十六、七年のことです。昭和二十八年一月に、『零度』の十号が出たあとグループは解散しました。その後、加藤君に会う機会はありませんでしたが、いまから十年位前、偶然会ったときに詩は全く書いていないと言っていたのを、私はおぼえていました。
数日前に突然、今度詩集を出すので何か書いて欲しいという手紙を加藤君からもらいました。私はちょっとおどろきました。二十年近くも詩作を離れていた者が、その行為を再び開始することは至難のわざだと思っていたからです。その手紙には、十年ほど前、私に会ったとき、書いていなくても忘れていなければいいという意味のことを言われたことが、頭から離れなかった、と書いてありました。
やはり仲間の一人で加藤君とは同窓のいまは画家でもある平野充君と、今年最高の暑さだという日に訪ねてきました。二人を見てまた私はおどろきました。加藤君の頭はとみに薄く、平野君の頭はとみに白いのです。私は、時の流れの非情さを実感しました。しかしまた、このように年齢を重ねてもなおかつ、詩作という非実利の行為をやめさせない精神のありように、一種の救いを感じたこともたしかです。実利万能の世界に生きる多数の人間に辟易しているからです。
ところで、加藤君が持参したゲラ刷りを見て、意外でした。加藤君の詩的世界は、私が想像していたものとはほとんど違っていたからです。すくなくとも、この詩の表現には、気取りやこけおどしはない。加藤君の人生経験が、そういうものを削りおとしてしまったのか、あるいは加藤君の内部にはもともとナイーブな目を育てるものがあったのか、私にはわかりませんが、いずれにしろ人生の苦汁が透明になる方向をもっということは、なみなみならぬ努力の結果だと思うのです。
(「序/金井直」より)
目次
序 金井直
跋
ノート
<付>POEMS(逆丁)