昭和詩の発生――三種の詩器を充たすもの 樋口覚

 1990年5月、思潮社から刊行された樋口覚の評論集。装幀は芦澤泰偉。

 

 本書は、三章からなっている。一章は、安西冬衛北川冬彦らが大正末から昭和の初めにかけて旧満州の大連で発行した雑誌『亞』を中心に、昭和詩の発生をさまざまの角度から論じたものである。この章は、この本のために新たに三百枚書き下ろした。二章は、近代詩に関するやや原理的な論考を集めた。いずれも一章と重複する問題を詩・短歌・俳句の詩形論のかたちから論じたもので、ここで展開された問題は、いささか無味乾燥と思われても、もっと形式化させなければならないだろう。三章は、それら三つの詩形を代表する昭和の詩人についてり作家論である。副題の「三種の詩器」は、吉本隆明氏の論文名から拝借したもので、以前から気になっていたこうした発想を本書全体に冠せるよう編集した。
 「昭和詩の発生」を書いたのは、昨年の春から夏にかけてで、昭和天皇の死にかかわる騒ぎが一段落してからである。その準備をしている最中は、まさに天皇にかかわる未曾有の言説が飛び交っているときで、昭和の終焉に伴い、「三種の神器」の象徴たる天皇天皇制について史上かつてないほどの言葉と映像が連日飛び交い、その渦の中に巻き込まれた。そしてそれらは、次第に熱度を減弱し、しだいに忘れられていった。
 この間、わたしは、かつての「内地」ではなく、満州という北方の「外地」のことをしきりに考えていた。時代的には大正末年から昭和初年までの詩、とくに先鋭なモダニズムといわれる安西冬衛北川冬彦の短詩や散文詩の発生について考えていた。そして、それは書き始めるや次第に詩以外にも及び、結局、当時の内地と外地の関係全体(それは当然すぐる戦争や植民地に関係する)にも踏み込まざるを得ない大きな問題としてせりあがってきた。わたし自身の内的モチーフとしては、以前に論じた富永太郎の延長という意味で、大正末から昭和の詩意識の変遷と、富永がいた上海における南方憧憬から新たな植民地である北方への幻想へ、長詩から短詩へというベクトルがあったが、期せずして、昭和「詩」のみならず昭和「史」の発生についても触れることになった。
 安西冬衛北川冬彦に関する論については、既に中野重治や安東次男や吉本隆明のすぐれた論があるが、ここでわたしが行ったことは、いままで人があまり論じたことのない「昭和詩」の側面への一つの視角であり、その仮説作業である。それは萩原朔太郎が昭和十五年に編集したアンソロジー『昭和詩鈔』に盛られている編集方針や内容とほぼ合致する。そこには、本書で論じた安西冬衛北川冬彦、滝口武士、逸見猶吉のほか伊東静雄中原中也、岡崎清一郎、西川満、小熊秀雄、蔵原伸二郎、山之口獏金子光晴ら、傾向はそれぞれ違うが、昭和の詩人としか言いようのない異数の詩人が登場している。現在のわれわれが昭和詩にいだく感じとは大分違うが(ちなみに朔太郎の解説の題は「詩形の変遷と昭和詩風概説」である)、それは、いまだかつて日本が経験したことのない対外戦争、昭和を二分した敗戦というものの質に関係している。
(「あとがき」より)

 

目次

第一章 昭和詩の発生

  • 1 『亞』
  • 2 韃靼海峡と蝶
  • 3 満州ところどころ
  • 4 短詩の統辞論
  • 5 壊滅の鉄道
  • 6 軍港は馬を内臓する
  • 註によるデッサン

第二章 詩形論へのエスキース

  • 日本押韻詩への試み
  • 長詩と短詩の間――一行詩の懸崖
  • 詩は移動する

第三章 「三種の詩器」の詩人たち

 

あとがき


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