2009年7月、砂子屋書房から刊行された西杉夫(1932~)の第5詩集。装本は倉本修。著者は東京生まれ、刊行時の住所は多摩市落合。
これがわたしの第五詩集だ。二〇〇一年から現在まで、十年近くの詩から選んだ。ほとんどは詩誌『騒』に発表したもので、部分的に手を入れた場合もある。配列は制作順にはかかわりがない。
このところの詩には、やはり老いのかげが深まっているのはたしからしい。健康自慢をしていた知りあいが、ふっといなくなるといった事態が、けっして珍しくはないようになっているのだから、これはもうやむをえないというべきか。
もっともわたしの国は、年よりはどうぞごゆっくりとはいわない。むしろ暮らしをむずかしくする方向ばかりを追い求めているようだ。これは年よりの問題だけではないのはもちろんで、こういったことにたいするわたしの批判は、詩のなかにもおのずからあらわれてくることになる。
それにしても詩的な熟成というようなものはあっていいだろう。あまり活発とはいえないにしても、長々とかいてきたのは事実なのだから。しかしこれについては、わたしが何かいっても始まらない。
ことしもまた、世界的な――といったことばが大げさではないようなできごとが、つぎつぎとおこってくる。それなりにまきこまれながら、わたしとしては近いところをほっつき歩くということになるだろう。スーパーで魚の鮮度と値段を見くらべたり、小道に自生するタラノキの若芽の伸びぐあいに目をとめたり、ときには鉛筆をにぎってみたりの日々を生きるだろう。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- ある越冬
- タコザクラ
- 運動公園
- キジふたたび
- 野芹
- 戦場
- 厳戒都市
- 監視
- 無名
- はぐれ虫
- シルバー清掃員
- ニュータウン断録
- 時計
- 大鍋
- 転換
- 仲間
Ⅱ
あとがき
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