1949年5月、高知県同胞援護会から刊行された桂井和雄(1907~1989)の第1詩集。装幀は山脇信徳。著者は民俗学者。
この詩集はその益金を以て本會直營の婦人ホームといふ高知縣に於ける薄幸の少女や身寄りない婦人をお丗話する施設の移轉新築費と靑蘭會(未亡人の會)の活動資金の一部に充てるために刊行されるものである
恩賜戝團 高知縣同胞援護會
過去に書いたものの多くは、これを忘失して置き、この小さい作品集を四十の齢をすぎて發表する私の初餐の詩集としてみたい。
第一部の「ドキュメント」(或る山村日記)は、四國の邊阪高知縣土佐郡の寒村土佐山村といふ村で、昭和十年來九年間この村の國民學校長或は青年學校長として、この間私の學問的興味の中心たる民俗學研究に没頭しながら、この寒村の風物に深い愛着を感じつ書いたもので、その一部はペンネームを以て當時の詩壇雑誌や自家版詩集「土佐山村」などに發表したことのあるものである。
この頃、僚友として同職の詩人故岡本彌太が大きな手の私の鞭撻者で、私も亦彼と同じ人生派的詩風を辿つて來た。
昭和十九年の太平洋戰爭敗色の濃い頃、言論出版集會臨時措置法というのにひつかゝり、キリスト教的自由主義者の名の下に教壇を追はれ、やがて高知縣に於ける社會事業團体の一つに身を置いて今日に至つた。第二部の「神々の祈禱」は大体がその轉換期の作品の一部であり、第三部の「白き年齢」は、その後のこの仕事の中で書いた作品の一部であると云へる。
正直なところ、これしきの作品集が詩集として讀むにたへるものであるかどうか、刊行の目的が既判の小著「土佐昔話集」「土佐民俗記」などと共に、社會事業資金造成のためであるだけに心配している。
さは云ひながら、自分にしてみると、今からこそ人生観照の暖い作品をものすることが出來る白き年齢なるを思ひ、こゝに四十三篇の作品をモザイックのように撰擇して發表することにしたのである。詩集の題名は、作品中から採つたもので、私のこれからの詩作乃至は人生への憧憬を意味する。
(「あとがき」より)
目次
序 桂井和雄氏の詩集に寄す 岡本重雄
・ドキュメント (或る山村日記)
- 野火
- 雪景
- ドキュメント
- 峡舟
- 早春稚魚二題
- 光る蛇
- 村童の詩(Ⅰ)
- (Ⅱ)
- 川原の詩
- ユダ
- 酒詩
- コップ酒
- 少年と秋
- 隣村の理髮館
- 焼韮
- 爐邊
- 太陽の下にある一つの風景
- 牛のある風景
- 峽谷の蝶
- 部落公聽會
・神々の祈禱
- 願望
- 森の中で
- 二十世紀末の慾情と故郷のランプ
- 神々の祈禱
- 父の詩
- 花ある患者
- 牛
- 小說の一頁のやうに
- 綠の採草地のある詩
- わが齢滴る綠の如くなれば
- 雪解け
・白い年齢
- 抒情
- 雪の手紙
- みち
- 無題
- 或る時
- 愛慾について
- 美學
- 哀しみあるときに
- 新しい時代のために
- 或る手紙
- 秋風たちそめて
- 汽車
あとがき
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