1973年9月、民衆社から刊行された松田解子(1905~2004)のルポルタージュ。著者は秋田県荒川鉱山生まれ。
これは敗戦後まもない時期から一九六九年にわたって書いたわたしのルポの過半です。一戦災者として、また文学から離れられない一人の人間として、参加せずにはいられなかった戦後のさまざまなたたかいや見聞を書きとめたもので、ある時には、あまりの時間のなさを切りぬけるために、ルポ詩の形式をも敢えてとって備忘のよすがとしたのでした。
したがってここに書かれた事態にも年月をとうしての変転があり、それらの事態のなかに組み込まれてそれぞれにたたかっていた人物にも変転と生死がありました。書き手のわたしにも多かれ少かれそれは内在していることです。
それゆえにわたしの戦後はわたしの内部で、なお疼いているのですが、社会的には日本の戦後は果して疼きをとめているかどうか。さらに心してそれに耳かたむけ、書きとめていきたいと思うのです。
また書かれたあれこれの事態については、より多くの人びとの示唆をこそ願う者です。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 立ちあがり
Ⅱ 母の力量
- 母の力量
- 「みんな話しなさい、思うことを」
- 息子たちを母の手に
- 母親たちは立ちあがる
- かえりみて
Ⅲ 松川と白鳥
- 松川事件被告と家族をたずねて
- 松川控訴判決の日
- テーマはひきしぼられている
- つのる疑いと憎しみ
- みんなが見守っている
- 目盛
- 松川判決せまる
- 松川と秋田びと
- 証人に立って
- 一九六一年おめでとう
- この子、この母
- 病軀と闘魂
- あなたをわたしたちは忘れません
- 疼く思い
Ⅳ 安保メモ詩
- プラタナスのささやきから
- さしまわしの車で
- 生かすハンコと殺すハンコ
- 列
- ムシロ旗讃歌
- 誘い
- 救護班
- 六・二二
Ⅴ 首都底辺
- 昼の暴力
- 本管入れ
- 保育所がほしい
- 教育扶助
- 都バスのうちそと
- ここに足場が
- 東京磁石で
- 椿と御神火の島にも農民組合のいぶき
- アヒルのように
- 九牛の一毛
- 老人の要求
- ちいさな工場でも組合を
- 民族教育を守ろう
- 出稼ぎ雑記
- ドゥナルカじゃない、ドウスルカだ
あとがき