戦後京都の詩人たち 河野仁昭

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 2000年12月、「すてっぷ」発行所から刊行された河野仁昭の評論集。装幀は加藤恒彦、表紙画は天野忠、扉画は中村樗。

 

 小著は引野収さんが主宰していた『短歌世代』の三〇九号(昭和六十三年五月)から三三六号(平成五年三月)まで、五年間にわたって連載させていただいたものである。
 引野さんは昭和六十三年(一九八八)年四月十一日に亡くなられ、主宰を奥さんの浜田陽子さんが継いでおられたのだったが、浜田さんも平成四(一九九二)年十二月九日に亡くなられた。『短歌世代』は翌年五月に浜田さんの追悼号を発行して終った。
 終刊時に『RAVINE』の連載をはじめたばかりで尻切れとんぼになっていたので、小著を纏めるにあたって最初から書き改めた。また、連載していたころには発行をつづけていた『ノッポとチビ』を七十号(平成四年三月)をもって終刊にしたので、「『ノッポとチビ』の仲間たち」の最後に、「『ノッポとチビ』始末」を書き加えた。そのほか、かなり大幅に改稿した部分が何箇所かある。ただ、長年にわたる連載なので記述の重複が多いのだが、それに手をつけると全面的に書き改めたくなるので、訂正は最小限にとどめることにした。
 これを書くきっかけは、天野忠さんが『コルボオ詩話会テキスト』『骨』その他の資料を下さったことにある。天野隆一さんからもときおり、こんなものが出て来たといって、珍しい資料をいただくことがあった。わたしは先の『短歌世代』に、昭和四十三年三月から「現代詩への愛」という連載をつづけていて、その一部として京都の戦後の詩誌をとり上げることにしたのだった。
 わたしはこういうものを書くのに、自分が適任だとは毛頭思っていない。ただ、いただいた資料を眠らせておくのが惜しかったのと、いただいたご好意に多少なりとも報いたかったのである。
 今年の夏、あまりの暑さつづきで新しい仕事の準備を進める気力をなくしたわたしは、何年ぶりかに『短歌世代』を取り出して埃を払った。書いた内容はもうほとんど覚えていなかった。捨てても惜しいようなものではないかどうか、一度読み直してみようと思い立ったのである。かなり勇気と根気がいることだった。
 それは、間違っても「京都戦後詩史」などといえる代物ではなかった。しかし、わたしの個人的な現代詩事始めの記としてならなんとか読めると思った。
 もう一つ、引野収、浜田陽子ご夫妻、天野忠さん、天野隆一さんをはじめ、詩を介して親しくしていただくようになった方たちが、数多く亡くなっていることを、読み返しながら改めて思に知らされた。それらの方たちへの感謝の念と、ご冥福を祈る気持の表現として、これを纏めることには多少の意味があるのではないかと思ったのである。
 いちいちお名前はあげないが、いまも沢山の詩友にご高誼をいただいている。小著がそれらの人たちに多少とも興味を持っていただけるものであることを、ひそかに願っている。
(「あとがき」より)


目次

  • コルボオ詩話会――詩人たちの復活
  • 『骨』――文化人たちのサロン
  • 『RAVINE』――新旧世代の共存
  • 『ノッポとチビ』の仲間たち――新しい世代の台頭

あとがき


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