1989年10月、沖積舎から刊行された藤原定の詩集。装画は小野忠弘。第8回現代詩人賞受賞作品。
言葉は私にとって青年の頃からたいへん異示のある存在であったし、時には詩のテーマにもしてきた。言葉について、言葉そのものを用って詩作するのだから、それはたいへんおもしろいことになってきたという愉しさを伴いもした。そうしているうちにも世には言語学や言語著学の書がかなり旺んに出版され、後者を主に覗き見程度に読ませて頂きました。だがそれよりもむしろ、これは実に虫のいい話だが、もしできたらさまざまな側面から言葉について詩作してみたいという思いがつのり、その貧しい国が本詩集なのである。
言うまでもなくそれよりも遥か前に言葉の手助けによって私は生きてきたのだ。この、人々や自然を、口に出しても出さなくても言葉によって把握し、それらと交渉をもち、また共生を遂げてきたのだ。もし言葉のそのような手助けがなかったとしたら、それは無に等しいとは言えないまでも、私の生意識というものはもっと遙かに曖昧朦朧としたものであり、私の生活はもっと衝動的なものであって、たぶん動物に近いものであろうかと推測して、狼狽的な気分にさえなるのだ。このことに気がついたときに人は言葉の有難さ、言葉の神性をさえ思うのであろう。私の自由になり、そして決して私の意のにならない言葉。言葉の矛盾性、そして人間の矛盾性。私は言葉を切り刻み折り曲げ、矯めたり、奴隷のように使役しながら、偶と気がつくともっともっと深いところでは、というのも言葉は私などと較べようもなく太古の昔から生きつづけてきたし、われわれを遙かに越えた精神や生命によって充填され、生きつづけてゆくものだから、愚かにもそれと気づかずに、私の一生は言葉に使われ、言葉に仕えてきたのだ、言葉は人類共通の超自我の自我ではないかと思い至る。なんという私のたどたどしい歩みであろうか、だがそれがここでの結語だと言うほかないのだ。
(「あとがき」より)
目次
- 奪い そして与える
- 言葉は橋に成る
- 物と言葉
- 言葉の塔
- あの言葉
- 言葉舟
- 言葉蔭
- 言葉波止場
- 言葉天使
- 呼ぶ言葉
- 身替り言葉
- 夜の言葉
- 言葉は人間に似ている
- 物と言葉との対話から
- 山の沈黙
- 森の沈黙
- 言葉並木
- トン トン トン
あとがき