1985年8月、思潮社から刊行された岡田隆彦(1939~1997)の第10詩集。表紙はジョゼフ・コーネル"Box construction Verso of Cassiopeia#1C"。第16回高見順賞受賞作品。
この詩集は、別々の意図から書いた作品を集めたものではない。全体が脈絡を持っている。一つの変則的な長篇詩といえるかもしれない。かつてアルコール依存症におちいった現実のわたしの、みずから回復しようと努めた過程を軸に、折々の心持ちと想像とを言葉にして織り上げたような按配である。書きついでゆくうちに、言葉が現実の行動を促し、ふるまいは詩句を生み出した。そのことの実際は、私事にすぎないことかもしれなくても、わたしにとってはささやかな驚きである。
なお、ここに収録したもののほとんどは、「現代詩手帖」の一九八二年十月号から、ほぼ一年半にわたって連載したもので、並行して他に発表したものが加えられている。
(「あとがき」より)
目次
- 欲望の織りなす迷路
- 洞窟の誘惑
- で影に肉づけてしまう
- 渇く
- 透きとほる火酒の幻覚、あるいは雲呑の頃
- 野菜スープの祝祭(カンタータ)
- 魂は風景の一状態
- テレフォニティス
- 泡だつものⅠ
- 泡だつものⅡ
- 泡だつものⅢ
- 泡だつものⅣ
- 泡だつものⅤ
- 和邇さんたち、ごめんなさい
- 南仏の友から
- 反歌・知ることはむづかしい
- Okada'sFirstTape
- 窓
- 九本の樹
- 渚にて
- 馬は走る。
- Cassiopeia's Chair
- カシオペアの椅子
- はるけき影像の火急な顕現
- かつてはさまざまの酔楽園が
- 浅い眠りに夢ハ無シ
- 夏から秋へ
- 狭い湾で珊瑚は溺れる
- Lamiabella Mano
- わたしの美しいManoよ
- 息たえる秋
- くだものは生きたことばだ
- 性的機械になることをおそれない
- 酸酵と腐敗
- Fall―小さく落ちる季(とき)かもしれないが
- 体験は想い出になる
- 寒い
- おおつごもりに帰る
- 頭の中に空洞が
- そこから実体が投映される
- 沼にたどりつく
- 同じ季節
- 狭い部屋
- 丘の上
- この肉体はいま
- 山吹の花が咲くよりまえに
- 重なる視像
- 種も蒔かずに
- 役割を演じる
- 自然の身振り
- 水の物語
- よみがえる時に岸なし
あとがき