幼年 鵜沢覚詩集

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 1962年1月、北田書店から刊行された鵜沢覚の第2詩集。写真は鵜沢泰夫、装画は鵜沢真則。


目次

  • 幼年画報
  • 耽美
  • 父の帽子
  • 納戸
  • 太平堂の菓子
  • 空耳
  • 柱時計
  • 女の子
  • 英語
  • サーベル
  • 「明治」の記憶
  • 弁当
  • マント
  • 休暇は終わる
  • 小石
  • しよつかんばばあ
  • 子猫
  • 三日月
  • 分教場
  • 万年筆
  • 飛行機の記憶

あとがき


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金子みすゞと尾崎翠 一九二〇・三〇年代の詩人たち 寺田操

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 2000年2月、白地社から刊行された寺田操(1948~)の作家論集。

 

目次

Ⅰ 魂の旅人たち

Ⅱ アヴァンギャルドな詩人たち

あとがきに代えて 新しく芽吹く詩のことば


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近代の漂泊 わが詩人たち 秋山清

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 1970年9月、現代思潮社から刊行された秋山清(1904~1988)の評論集。

 

あとがき――吾を追及するもの

『近代の漂泊』・わが詩人たち、もう一ついえば、吾を追及するもの。この一冊の本を編集したわたしの、それがテーマ、とでもいわばいうべきものであろうか。
 大分以前からわたしは、詩人とは吾を追及するもの、とかんがえるようになった。すこし説明を要するかもしれない。詩をかくというくらいのことを詩人の資格などとはさらさら思わない。詩人とは、われをつらぬいて生きそして死ぬ者、とかたく思い込むようになった。是非善悪をとわず、わが思いにたがわぬ生き方を徹しようとした人、その理想主義の一途さ、頑固さ、非命に吾を追い込んでたじろがぬ自我は、たやすく築きあげられることはできない。そのような生涯の人をわたしは愛し、心ひかれる。
 しかしそのような人はあまり多くは見出せない。その多くない人々のなかから、その人の何かを、事や主張や行為や、些少の成功と失敗までを、わたしが知ることのできた人々はさらにすくない。わが自我をつらぬくことによって、詩人というに値する人はさらにさらにすくないとわたしは思う。
 できることならその人たちが、詩か歌か、それらの何かを残してくれておれば、わたしはそこから近づき、さぐり、考察することもできるというものである。
 ここに挙げた九人は、わたしが定義する詩人の名にあまりたがわぬ人である。しかしこの人々は、時代も、理想も、運命もみんなちがう。社会的地位も主張も好みも各自勝手でありながら、その異る人々に共通するものが、彼等を詩人とわたしに呼ばせるその何ものかである。その何ものか、などといういい方はすこし勿体ぶってるみたいで好きではないが、いまわたしにはそれ以上うまくいえそうにない。「そのあるもの」とは、理想主義ともいえるし、わがまま勝手といってもいいし、謙虚さ正直さといっても当らなくはない。そしてどこかで自分を懸けて生きるみたいな一途さ、向う見ず、極端な自己放棄と自我主義とが、一個の人格のなかに矛盾せず抱懐されている、みたいな彼らである。
 もう一ついいかえれば彼らの誰も皆失敗者でしかない。世間体のことではなく、自覚としてそうでなければならぬ。わたしの詩人たちは皆そうでなければならぬ。
 彼らははみだし、あぶれ、すねる、反抗者でニヒリスト、世渡りの下手な、運のよくない失敗者である。彼らが非命の人だから、詩人だ、というのではなく、非命におわるしかなかった生き方、それぞれの時代の趨勢と一致し得なかったアンチ派、わが夢と理想とが世間並の一般論とくいちがうままに押し通して、失敗も敗退も避けようとはしなかった。それだから、その彼らは詩人である、とわたしははばかりなくいう。
 彼らを何故に漂泊者ということができるか。一所不在の思いに執するものでなかったとしても、彼らは、肉体か、精神かを、放浪のなかにつきはなさずには生きなかった。
 自刃、縊死、獄死、窮死、惑乱と困憊の果ての病死。不幸な死というものであったかもしれないが、それぞれにふさわしい死であったという印象をしか、彼らは残さなかった。精いっぱい、といってもいいくらいの生き方が、彼らにはあった。それぞれのふさわしい死によって、彼らは終りを全うしたものであることを印象づけた。理想に殉じたといいたい思いで彼らの生と死を回想する。彼らは総じて平凡な男たちである。にもかかわらず彼らの生涯と死が印象づけられるのは、その目的追及の成功と失敗が、区々まちまちであったとしても、自分にたいする忠実さは、さほど差違なく見えるからである。
 彼らは、つまり節を曲げなかったのだ。節とは、社会的信義とその責任感から外れないということであるが、わたしが思うのはそれ以上に自分にたいする責任というものである。それは転向しなかったというようなことともちがう。転向は他の尺度である。これは吾の吾が思いにたいする忠実である。なりふりかまわぬ忙しさで生きるということでもある。大小にかかわらずそのような生き方は、雑多にあるであろう。その中からこの九人を選んだのは、わたし自身との、何らかのかかわりによる。遠く見聞した人、交った者、感動し励まされた人、そのいずれかである。
 もっとも早くかいた「乃木希典」は昭和二十一年(一九四六)であり、今年かいた「和田久太郎」を最後とする。この間二十数年、書き方も考え方も多少はちがって来ているはずのわたしが、この詩人論において統一されるのは、吾をつらぬき、追及して生きるということが、現代のテーマだからであろうと思う。

 

目次

あとがき
初出おぼえがき

 

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草笛 佐竹游歌集

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 2013年11月、現代短歌社から刊行された佐竹游の第1歌集。

 

目次

  • 青天
  • 草笛
  • 倫敦塔
  • 天金
  • 風の吹く日
  • 円錐花序
  • ゆたけき闇
  • 天より垂るる花
  • 冬の雲

  • 春天の風
  • 魂を運ぶ舟
  • 胸の火
  • 山椒
  • 水輪
  • フクシマ

跋 阿木津英
あとがき


書評等
『草笛』佐竹游歌集 現代短歌社(暦日夕焼け通信)  

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流転の書 武林無想庵

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 1936年4月、岡倉書房から刊行された武林無想庵の随筆集。画像は裸本。

 

目次

  • 「絶望の書」覺書
  • 續・「絶望の書」覺書
  • 靖國丸
  • 東京の散歩
  • 新東京の惱み
  • 追憶のカケラ
  • 一歸朝者のコシマア
  • 鳩小舍の住人
  • 女といふもの
  • 觀音行第一信
  • 無想庵由來記
  • ゾラ因縁

後記


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なだれみち 鳥見迅彦詩集

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 1969年5月、創文社から刊行された鳥見迅彦(1910~1990)の第2詩集。装幀は串田孫一。画像は1972年2刷版。

 

 前著詩集『けものみち』(一九五五年刊)に次いで、この『なだれみち』がわたくしの第二詩集としてここに生まれた。十四年ぶりである。この詩集は、その十四年間にわたくしが書いた作品のうちから「山」にかかわりのある詩だけ八十九篇を選んで、編まれている。「なだれみち」というのは、なだれの通路のことだが、その運命的・悲劇的な意味にわたくしは戦慄を覚えつつ、詩集の題名とした。『けものみち』を姉とすれば、『なだれみち』は妹かもしれない。
(「あとがき」より)

 


目次

・うしろむきの磔

  • 岩のテラス
  • 遠い夜
  • 堆石の上
  • 第三のテラス
  • 罰の夜
  • 岩と残雪のあいだ
  • 水筒
  • 帰途
  • いやな位置
  • 岩の琴
  • 出発
  • そこから先へゆくな
  • 白い紙
  • 体刑
  • 霧が死体をなめている
  • うしろむきの磔
  • 事故

・登攀者

  • 眠る巨人
  • 天のテラス
  • 十本のゆび
  • 登攀者
  • どこの岩から
  • 山へ

・ある一年

  • 銀の帯(一月)
  • なだれひも(二月)
  • 痛みにたえて(三月)
  • なぜいまも雪が(四月)
  • 雪の塔が(五月)
  • 小梨平の(六月)
  • 子連れ雷鳥(七月)
  • いつ、どこで、それは(八月)
  • みんな、夏のおわりを(九月)
  • 古びた木琴(十月)
  • 若い天狗たち(十一月)
  • スキーをぬいで(十二月)

・雪の精

・空には鷹

  • 空には鷹
  • コル
  • 高原
  • 山小屋への道
  • アルプのけもの
  • 恋のような
  • 雲ノ平にて
  • ぶなの木は
  • 秋風のエスカレーター
  • パイプ
  • 夕ぐれ
  • 探鳥行

・クララ

  • 救けてくださいというクララ
  • クララは帰らない
  • 抱きつくクララ
  • 大の字のクララ
  • クララちぢむ
  • クララのお花摘み
  • 高原のクララ
  • 手の双眼鏡
  • 白いけもの
  • 雁ヶ峰
  • チムニーのクララ
  • キレットのクララ

・ハイマツのハンモック

  • 雲ノ平
  • ハイマツのハンモック
  • 輪かんじき
  • ”鏡ノ平”由来
  • 仙女
  • 峠は待っている
  • こびとの輪かんじき
  • 足あとのある風景
  • 午後はいつしか
  • ちえくらべ
  • チングルマ
  • 春はまぼろし
  • みちしるべ
  • 夢ノ平
  • 唐松小屋にて
  • ムラサキマムシグサ

あとがき

 
書評等

詩人鳥見迅彦の<詩集・山の三部作>(2)(武蔵野日和下駄)

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光を掲ぐる者 荒畑寒村

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 1923年4月、東雲堂書店から刊行された荒畑寒村の評論集。装幀は西村陽吉。

 

目次

  • 靴の悲哀
  • 道頓堀界隈
  • 獄を出てから
  • 革命黨か密偵
  • 無政府主義思想の墳墓
  • 勞農ロシア攻撃の素養
  • 幻滅の幼兒
  • 社會進化論
  • 近代劇論
  • フアスト論
  • 個人主義の破滅
  • 電車問題長講三席
  • パブリツク、ビイ、ダンムド
  • 同盟罷工
  • 盜難行
  • 川柳憎まれ口
  • 武器の發明家
  • 光を掲ぐる者
  • 電工
  • 艦底
  • 逃避者
  • 父親
  • 鼠小僧と蜆賣
  • 紀文大盡
  • 露國演藝團

 

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